第1回 創価大学・女子短大 1990年4月 入学式 (2018.4.17) 第2回 創価女子短期大学 1985年4月 入学式 (2018.5.23) 第3回 創価大学 2005年6月 中国・華中師範
第3回 創価大学 2005年6月 中国・華中師範大学「名誉教授」称号授与式 (2018.6.30)
「知ち性せいの向こう上じょう」を喜よろこびに
第1回は、1990年4月4日の入学式(創大=第20回、短大=第6回)。
新しいスタートにあたり、池田先生が第一に確認したのは「精神エスプリの戦いを起こせ」である。
フランスの高名な美術史家ルネ・ユイグ氏との対談に触れ、何らかの外的な権威に振り回されやすくなった現代の風潮を打破する「精神の力」の復興を訴えた。
名声とか人気、人々の評価などに基準を求める。自分がどこに所属し、何を所有しているかによって自身の価値を推し量る。
そして、他人と比べては一喜一憂する――そうした虚栄の波間を漂う、はかない根なし草のような生き方かたがあまりに多くなってしまった。
皆さんは、一生涯「いかなる自身であるのか」という問いを手放してはならない。
そして今は、自分自身の精神の「根」を人知れず、じっくりと張っていただきたい。
長く激しい、これからの精神闘争にあって、何ものにも翻弄されず、何ものにも侵されぬ確固たる自分、輝やく“本物”としての自身をつくりあげてほしいのであります。
学問に王道なし
第二は「『学問の王国』の扉を開け」。「精神の戦い」に勝ちゆくために、今は学びに徹する以外にない。
夫人の言葉「いままで知らなかったあたらしいことをつぎつぎにまなんでゆくよろこびにひたりきっていました。
「学問に王道なし」と言います。そして学問は、かけがえのない、みずからの「権利」であります。
にもかかわらず、いつも「義務」としての勉強に追い詰められ、苦しめられているようでは、自分自身が大きな損をしてしまう。
私は新しい学生生活の始まりにあたって、この意識の転換をお願いしたい。
どうか「学問の王国に、いつでも好きな時に入っていける」という学生としての「権利」を、思う存分行使してください。
「知」の光は自分自身を、そして社会を、永遠に輝かしてくれるものです。
どうか、探究の喜こび、また山の頂だきから下界を見おろしていくような知性の向上の喜びを、自分なりにつかんでいただきたいのであります。
引っ込み思案になるな
この入学式の約半年前、東西冷戦の象徴的存在であった「ベルリンの壁」が崩壊。言葉や文化の壁を越え、民衆同士が交流しゆくボーダーレスの時代へ、先生は学生たちに託された使命と期待を語った。
皆さんは、語学力をしっかりと身につけてほしい。そして、自分自身の考えや思いを生き生きと表現し、大勢の人々に伝達していける力を培かっていただきたい。
もはや黙っている人が賢そうに見える時代は終わりました。「民主の時代」は即「対話の時代」であります。
どんどん語り、対話を重かさねていく時代です。決して引込み思案になってはならない。
これから皆さんを待ち受けている一切の試練は、すべて、青春桜、人生桜の幸福の花を咲かせゆくための滋養であり、精神の飛翔ための翼であります。
また、境涯を深め、大指導者と育っていくために、自分を試してくれている向上の翼だと思って、それらに負けずに頑張っていただきたい。
「理想」「鍛え」「教養」の女性に
スピーチに立った創立者・池田先生は、高貴にして崩れざる道を後輩のためにつくりゆこうと語り、短大生に万感の期待を寄せた。
短期大学に学ぶ2年間という歳月は、短かいといえば短い。
しかし、もっとも大切な人生の節目であると考えるならば、もっとも深く長い2年間と申し上げたい。
この2年間に教授と学生が一体となって、4年制大学の卒業生以上の実力をつけることを、私は願望いたします。
土台を築きずく2年間
この日、池田先生は1期生に三つの指針を示しめしている。一つ目は「理想」である。
青春時代は、魂の奥深くに「理想」の苗を植え付けていかねばならない。
自分らしく、理想を高く掲げ、着実な日々の研さんをと望んだ。
ある大作家の作品に「理想のあるものは歩く可き道を知っている。
大なる理想のあるものは、大なる道を歩く……どうあっても、この道を歩かねば已まぬ。
魂がこちらこちらと教えるからである」という私の大好きな一節があります。
自分の生きるべき「理想」をつかんだ人は強い。
それは、どんな迷路に踏みこもうとも、暗夜の灯のように、皆さんを前へ前へと確実に導びいてくれると、私は思うからであります。
二つ目は「鍛え」である。
先生は、フランスの思想家モンテーニュの言葉「運命はわれわれに幸福も不幸も与えない。
ただその素材と種子を提供するだけだ。
それを、それよりも強いわれわれの心が好きなように変えたり、用いたりする。
われわれの心がそれを幸福にも不幸にもする唯一の原因であり、支配者なのである」(『エセー〈一〉』原二郎訳、岩波文庫)を紹介。2年間の「心の鍛え」が土台となり、40代、50代になって、見事な人生の花を咲かせていけることを強調した。
「鍛え」ということは、若い時代の特権です。脆弱な土台の上に建たてられた建物は、すぐに崩れてしまう。
と同じように、身体を鍛え、頭脳を鍛え、心を鍛える「鍛え」の青春なくしては、真実の幸福も、真実の満足もありえないと思うからであります。
これから、若き皆さん方は、それぞれの運命を背負って生きていかねばならない。
つまずいたり、絶望したり、挫折したりすることもあるにちがいない。
しかし、それはたんなる「素材」であり、「種子」にすぎないのであります。
それを、不幸と感じて人生の敗北者となるか、反対に、幸福への発条として生き抜いていくかは、いつに、モンテーニュの言う「それよりも強いわれわれの心」にかかっているのであります。
清き心を磨け
三つ目は「教養」である。
教養とは、たんなる知識や技能の習得だけではない。
自分らしい人間性と人格の輝かがやきであり、見識の母体である。
また、よりよい人間関係を築きゆく潤滑油であり、人間にのみ与えられた清き心の昇華の姿と行動であると述べ、先生はこう言葉を継ついだ。
教養とは「高度な教養」また「一般的な教養」等々、さまざまに論じられていますが、端的に「洗練された常識」と、言えるのではないかと思います。
正しいものを正しく見、美しいものを美しいと見ていける、清らかな広々とした健全なる心が、第一義となってくるのは理の当然でありましょう。
名著を数多く読み、接することも大切であろうし、よき友やよき先輩と、語り交わることも大切ではないかと思うのであります。
最後に、皆さん方が、本学のモットーである「知性と福徳ゆたかな女性」「自己の信条をもち人間共和をめざす女性」、そして「社会性と国際性に富む女性」に成長されんことを心から祈って、私のあいさつとさせていただきます。
第3回 創価大学 2005年6月 中国・華中師範大学「名誉教授」称号授与式 (2018.6.30)
学び、そして戦う人生たれ
半世紀に及ぶ両国友好への貢献をたたえ、中国各界から先生に贈おくられた顕彰は、枚挙にいとまがない。
百年以上の伝統を誇る名門・華中師範大学から「名誉教授」称号が授与されたのは、2005年6月17日。式典で謝辞を述べた先生は、同大学が時代に先き駆けて「学生奉仕」に徹してきた事実に言及。
創大の学生中心の精神を確認するとともに、人生も学問も、あらゆる戦いは「執念」で決まると訴たえた。
学生のためにこそ、大学はある。教育はある。ゆえに、教員は心から学生を大切にすることです。
学生を尊重していくことです。
「わが子」以上に、「学生」に愛情を! 「わが親」以上に、「学生」に尊敬を! ここに徹した人が本当の教員です。
教員の誠実な心に包まれて育った学生は、どこか違う。
その真価は、すぐには発揮されないかもしれない。しかし、社会に出てから分わかる。
良い教員と出会ったかどうかが、学生の人生を決めると言ってもいい。それほどに、教員の存在は大事なのです。
私も、19歳で戸田城聖先生の弟子となり、先生の「戦う執念」を、すべて身につけました。
先生と学会が絶体絶命の苦境の時も、「断じて負けない!」「最後に勝ってみせる!」と決めて戦い、勝ってきた。
そうして、今日の世界的な創価の連帯が築れたのです。
一時の名声や肩書で、勝負は決まりません。
スポーツであれ、実社会であれ、どんな分野であれ、執念を持った人間が最後には勝っている。
執念の人間には、かなわないのです。では「執念」とは何でしょうか。
「忍耐強く耐え抜くこと」は、重要であるけれども、まだ受け身です。
さらにもう一重、強く深く「執拗なまでに攻め抜くこと」――これを執念と言うのです。
ここにこそ、勝利の活路は、必ず開けるのです。
大きな歴史を
辛革命の電源地となった武漢に立つ華中師範大学。
馬敏学長(当時)は、「人間」に光を当て、激動の中国近代史を研究してきた著名な歴史学者であった。
先生は、自身も小説に民衆史をつづってきた事実に触ふれ、歴史を動かすのは「人間の力」であると強調。
道が遠くとも、進んでいく限り、必ず到達できる」等を紹介し、「信念」と「勇気」に生き抜く人生をと語った。
どんなに人がいても、烏合の衆では力にならない。偉大な人間がいるかどうかです。
偉大な人間がいれば、平和な社会も、豊かな社会も、実現できる。
学び、そして戦う。それでこそ、学生です。
“学び、そして遊ぶ”が今の風潮かもしれないが、どうか皆さんは、「学び、そして戦う」「探究し、そして行動する」という、誉れの青春の道を歩み抜いてください。
学問に励むことは、もちろん重要です。しかし、勉学に専念していれば、それで十分というわけではない。
社会のため、人々のために、何か行動を起していくのです。勇敢に闘争していくのです。
そこで得られた経験は、必ずや自らの学問と結びつき、自身の貴重な力となっていきます。
その青春にこそ、英知と正義が光り、快活と充実がみなぎっていくことを知ってください。
現実社会を見れば、人を苦しめ、悩なやませ、不幸にさせゆく悪が満ちています。
この世は、善と悪の戦いです。
その悪を滅しゆく善の戦いを教えていくのが、教育の役割なのです。
小さな、つまらない人生を生きてはならない。
どうか皆さんは、大きな使命のために、大きな悩みを持ちながら、大きな自分をつくり、大きな歴史を残してください!
これが創価大学の精神だと思うが、どうでしょうか!
英知を磨くは何のため
「労苦と使命の中にのみ 人生の価値(たから)は生まれる」「英知を磨くは何のため 君よそれを忘るるな」
学問に挑みゆく創大生が、社会で奮闘する卒業生が大切にする指針である。
池田先生が贈ったこの言葉は、文系校舎A棟前に立つブロンズ像の台座に刻まれている。
向かって右に「天使と鍛冶屋」、左に「天使と印刷工」。
作者はフランスの彫刻家アレクサンドル・ファルギエール。
先生が寄贈し、1971年4月2日の開学式の折りに除幕された。以来、47星霜。
一対のブロンズ像は“創大のシンボル”となり、行き交う学生を見守ってきた。
かつて先生は語っている。
「天使は栄光の大空へ羽たかんとする『創大生』です。そして鍛冶屋と印刷工は、『名もなき庶民』。
創大生は庶民のことを断じて忘れてはならない」
民衆のために行動する。大学に行けなかった人々のために尽くす――創大生の永遠の使命である。
人格光ひかる人間王おう者じゃの道を
寮生の発意により、開学2年目の1972年に始まった「滝山祭」。
その後、大学建設を担う学生主体の行事として発展し、94年まで開催された。
創立者・池田先生はその多くに出席し、励ましを送ってきた。
第18回の滝山祭記念フェスティバル(89年7月8日)では、学生の熱演を温かく見守り、スピーチ。
正義の信念を貫ぬいた恩師・戸田先生の生涯や自身の決心を通し、使命に生き抜ぬく人生の大切さを訴うったえた。
自分の置かれた場所で、信念に徹して生きた人と同じく、諸君も、この創大の世界で、学問に真剣に取り組み、学問に生きぬいていただきたい。
それが現在の諸君の最大の使命であります。
いかなる場所、いかなる相手であっても、堂々と自身の研鑽と思索の成果を発表し、納得させていく実力を身につけていただきたい。
私のすべての行動は、そうした諸君の晴れ舞台を開くための戦いであります。
“学び”の心を強く
次いで先生は、イギリスのオックスフォード大学の歩あゆみに言及。
世界に冠たる学問の府となった同大学には、幾多の試練と苦難を乗り越こえた偉大な歴史がある。
とりわけ、18世紀には、入学希望者が減るなど、長期的な低迷の時代もあったという。
だが、その中で、厳格に自分たちを律しながら、学問に取り組む一つの学寮があった。
この寮からは、後に十数人の英国首相が誕生した。
先生はこうした事実に触れ、何ものにも左右されない自分自身の建設をと呼び掛かけている。
何事も、ゆるぎない基盤が簡単にできあがるはずはない。
ありとあらゆる経験と試行錯誤を重ね、苦しみ、あるときは攻撃を受け、揺さぶられ、失敗もし、それら一切に耐えながら、なお理想に向かって歩みとおしたとき、初めて、永遠性を持った盤石な建設がなされる。
ゆえに、すべての出来事は、よりすばらしき勝利への貴重な教訓であり、より力強い前進への糧となる。
また、そうなしえたところが、最後の、真の勝者となるのであります。
“学び”の心は強い。それは精神の停滞を許ゆるさない。
どこか一カ所にでも、だれか一人にでも、その心が貫ぬかれていくならば、純粋にして尊き精神の伝統は守りぬくことができる。
逆に、いたずらに世間の風潮に振りまわされ、低次元の現象や言葉に心を同調させてしまったならば、それはもはや求道者ではない。
信念の人ではない――このことを、私は恩師戸田先生から、まことに厳しく教えられた。
ゆえに私は、どんな悪意や無認識の中傷にも振りまわされない。
だれが、どのように言おうが、どのように見ようが、それは自由です。
初めから相手にする必要もない。
真実の自分は自分自身のなかに確固としてあり、何ものも永久にそれを覆すことはできないからであります。
滝山寮をはじめとする創価大学、女子短期大学の各寮から、よき伝統に培かわれた優秀な人材が、陸続と社会に巣立っていかれんことを念願してやみません。
大切な一生を飾かざれ
オックスフォード大学には学寮の用務員として学生を支えた、無名の一市民を顕彰する銘板が刻まれている。
最後に先生は、創大の発展に尽す陰の功労者への感謝を忘れず、“人格の芯”を培い、より多くの人々を助け、幸福にする“王者”にと期待した。
新時代の王者をめざす諸君は、学問を深め、みずからに力をたくわえつつ、人々に尽くしきっていく「人間王者」へと成長していただきたい。
大切な一生を勝ち、飾りゆくために、諸君は、自分で自分を立派に仕上げていっていただきたい。
そのための学問であり、人間修行であることを、重ねて申し上げておきたい。
向学の道に栄光は輝かがやく
創価大学通信教育部の夏期スクーリングが、12日に開講した。
今年も全国・海外各地から集った老若男女が、創大キャンパスで“学びの夏”を過すごす。
期間中には、伝統光る通教生の祭典「学光祭」が開催される。
1988年8月16日の第13回学光祭には、創立者・池田先生が出席。
80代になっても研さんの歩みを止めなかった歴史家トインビー博士との語らいや、働きながら学んだ自身の体験を通し、苦労と工夫を重かさねて勉学に挑む友を心からたたえた。
「生涯教育」という高邁なる理想に汗を流すひたむきな姿は、本当に美しい。
「生涯教育」についても、かつてトインビー博士と種々、語りあった思い出がある。
その時に博士は「生涯にわたって時間を活用しながら、教育を続けることこそ、民衆の知的・倫理的レベルを向上させる、もっとも確実な方法である」と、断言しておられた。
博士は「成人後の教育においては『学問』と『経験』、つまり『理論』と『実践』とがたがいに補足しあい、刺激しあっていく。
ゆえに、青少年期の教育よりも、いっそう実り多いものとなる」とも力説しておられた。
たしかにそのとおりであると、私も実感する。
多くの人が夏季休暇で、遊び、休んでいる時期に、このように、皆さま方が、人間教育の最高学府に集い、学んでおられることは、たいへんにすばらしく、尊いことであります。
私は、最大の「誇り」と「自信」をもって、これからの人生の歩みをお願いしたい。
かりに試験がうまくいかなかったとしても、それはそれと考えればよいと思う。
歴史上の人物をみても、一度や二度の試験の失敗など、数多くある。
失敗しなかったから、人間的に「えらい」とか、失敗したから「ダメだ」と決まるものではない。
「学ぶ」ということは、そうした表面的な姿では測れない「深さ」と「広がり」をもっている。
「働きながら学ぶ」という皆さまの向学の道には、人ひと知しれぬ苦労も大きいにちがいない。
しかし苦労が大きければ大きいほど、みずからが体得する成果も大きいと申し上げておきたい。
人格と知性の人に
次に先生は、フランスの文豪エミール・ゾラの人生に言及する。
大学の入学試験に2度失敗し、出版社で働きながら文学への道を歩み始めたゾラ。
発送や返本整理等の地味な仕事の中で、時代のニーズに合った本のセンスを磨みがいた彼は、文筆の世界で地歩を築いていく。
晩年、軍部権力が起おこした冤罪事件を糾弾し、正義の言論戦を展開。
迫害の中、信念を貫いたゾラの生涯を通して、先生は呼び掛かけた。
いかなる立場におかれても、そこで最大限に力を発揮し、新たな世界を切り開いていく。
一切を、みずからの決めた道を進みゆくための発条として、労苦のなかに未来の成長を求もとめる。
これこそ青年らしい生き方でありましょう。
正義のため、真実のために打たれれば打たれるほど、人は偉大になる。荘厳になってくる。
ここに正しき人間の道があり、勇気ある人生の真髄があります。
抵抗や圧迫を恐れて、信念を曲げたり、妥協したり、また姑息な策を弄したり、そういう臆病な生き方のなかには、真実の人格の輝きはない。
強靱な知性があるからこそ、正を正、邪を邪と見ぬき、雑音に紛動されない。
また自己のちっぽけな、濁った私情に負けることなく、正義の信念に殉じて恐れない。
真理の導く方向へ、堂々と、まっすぐに進んでいくことができる。
学問と教養によって、耕やされ、練り鍛えられた確固たる人格と知性。
諸君は、そうした、ゆるぎなき「人格の人」「知性の人」になっていただきたい。
そして「正義」と「真実」の“学の光”を、社会に燦然と輝せ、民衆の新しき歴史をつくっていただきたい。
これこそ、私が恩師から託された悲願であります。
未来のために力をつけよ
“本当に苦労した人物かどうかで人間の価値は決まるのです”
2002年9月30日、担当教員の了解を得て行った”特別講義”も、その一つである。
この日、先生は20代で恩師・戸田先生が経営する出版社に入社し、必死で奮闘した日々を述懐。
数多くの作家や文化人らと交友を重ねてきた歴史を振り返りながら、学生たちに青春の指針となる哲学を語った。
何も学ぼうとしない、勉強しない、努力しない――これは、人生にとって最も愚かであり、最も卑しい人間です。
お金や栄誉を得ることよりも、人間として一番大事なのは、「学ぶ」ことです。
いくら有名人でも、学ぶ心のない人は尊敬できません。
一生涯、学び続ける――その人を尊敬すべきです。
学問は、自分自身の不滅の権利です。
人間としての権利であり、義務といえましょう。どうか、生涯、「学び続ける心」を忘れないでください!
良書に親しむことは、一生の財産です。
映像だけでは、刹那的であり、受け身になりがちです。
また、科学的な知識にも、深く豊かな人間性がともなっていなければ、危ない。
人間が原点です。読書が、人間らしい人間をつくるのです。
何のための人生か。何のための学問か。その裏づけとなる深き哲学がなければ、浅薄な人生になってしまう。
自分という人間を、どう深めるか。豊かな人間観を、どうつかむか。
そして、自分を最大限に輝かせながら、どう人生を生き抜いていくか。
そこに人生の根本の課題があるのです。
これまで私は、大勢の外国の著名な方々とお会いしてきましたが、一流の人物は、どの方も例外なく、立派な声をされてい