【第11回】 座談会――善知識たる友の集まり(2018.11.17) (完)


連載「世界宗教の仏法を学ぶ」では、池田先生の指導や励ましを教学のテーマ別に掲載。併せて、それらに関する仏法用語や日蓮大聖人の御書などを紹介します。
最終回となる今回のテーマは「座談会」です。
 
大白蓮華」の巻頭言から
「座談会」は、創価学会の伝統であり、今や、「ザダンカイ」として、世界中で開催されています。
池田先生は、世界広布の推進力となってきた座談会の歴史と精神について、折々に指導しています。
牧口常三郎先生は、戦時中、特高刑事の陰険な監視と怒号にも怯まず、忍難弘通の座談会を一貫して断行なされた。
逮捕される直前も、伊豆・下田で座談会を悠然と行われていた。
先生への弾圧の起訴状では、2年間で240回以上にわたって、座談会を開催したことが、その理由の一つとされている。
戸田城聖先生が、出獄後、巌窟王(がんくつおう)のごとく学会再建の火蓋を切られたのも、座談会であった。
昭和21年、戦後最初の座談会で、戸田先生は、殉教の牧口先生と三世永遠に共に戦う決意を天下に宣言なされた。
ゆえに、この広布推進の座談会は、我ら後継の弟子にとって、初代・二代の「不惜身命」の学会精神をたぎらせ、晴れ晴れと意気軒昂に、真剣勝負で臨みゆく師弟一体の法戦場であることを、忘れてはならない。(200610月号「座談会こそ広布の源流」)
                    
私は座談会で、師匠とお会いすることができた。
私は座談会で、大仏法を学び、実践してきた。
私は座談会で、愛する同志と一緒に、日本そして世界へ、広宣流布の拡大を起こしてきた。
私は座談会が、何よりも大好きだ。
 
法華経の薬王品には、「如清涼池(にょしょうりょうち)」と説かれる。
すなわち、清らかで涼やかな池は、渇きに苦しむ人々の心身も満たすことができる。
その池の如くに、妙法には、生老病死の苦悩から一切衆生を解き放つ大功力が漲(みなぎ)っているという譬喩(ひゆ)である。
“心の砂漠”が広がる社会にあって、座談会は、集い来る友が、皆、生命を満たし、蘇生していくことのできる「如清涼池」のオアシスといってよい。
御本仏日蓮大聖人は、明快に宣言なされた。
「仏になるみちは善知識にはすぎず」「善知識たいせちなり」、そしてまた「而るに善知識に値う事が第一のかたき事なり」(御書1468ページ)と。
「一生成仏」のために、最も大切であり、しかも最も値い難き存在が「善知識」だ。この善知識たる友と友の集まりこそが、創価の座談会なのである。
                     
座談会は参加者全員が主役だ。老若男女を問わず、皆、大地から躍り出てきた地涌の名優ではないか!
11人が汗と涙でつかんだ体験は、何ものにも代え難い「人間革命」の感動のドラマではないか!
どんなに悩みを抱え、どんなに疲れ果てていても、必ず元気になれる。前向きになれる。勇気が湧いてくる。
これこそが、座談会という幸福劇場なのだ。
今や世界中で、「ザダンカイ」が朗らかに行われている。
あらゆる差異を超え、地球民族の心に生命尊厳の哲理の火を灯し、人生や国土のいかなる試練にも負けない活力と連帯を生み出しているのだ。
人類が待望してやまない新たな「対話の文明」を創造しゆく無限のエネルギーが、座談会にはある。
201711月号「ザダンカイは元気の幸福劇場」)
 
理解を深めるために
 
自他共に福徳を積む会座
仏法は、その出発点をたずねれば、小さな「法座」、つまり“座談会”でした。
釈尊は覚りを得た後、5人の旧友との語らいから、説法を開始しました。
大聖人も「少少の大衆にこれを申しはじめて」(御書894ページ)と、少人数の会座から、末法広宣流布の法戦の幕を開けられたのです。
戦後の学会の再建も、座談会からでした。
ここでは、仏法の集いを開く功徳について学びます。
 
法華経の随喜功徳品(ずいきくどくほん)18には、「勧めて坐()して聴(き)かしめ、若しは座を分(わか)かって坐しめば、是の人の功徳は、身を転じて帝釈の坐処(ざしょ)、若しは梵天王の坐処、若しは転輪聖王(てんりんじょうおう)の坐する所の処を得ん」(法華経521ページ)とあります。
法座に友を誘い、仏法を聴かせ、座を詰めて座らせる人は、その福徳で未来に梵天帝釈天転輪聖王の座を得ることができると示されています。
友人を連れてくる人、妙法の偉大さを示す体験談を語る人、他の人のために自分が詰めて座る場所をつくる人、会場を提供してくださる人など、座談会を成功させようとする人々の真心に、無量の福徳が輝くのです。
 現実世界で妙法を弘め、自他共に福徳を積む最極の会座が、創価の座談会なのです。
 
日蓮大聖人の御書から 「佐渡御書」について
 
大変な時こそ支え合う
佐渡御書」は、文永9年(1272年)3月、日蓮大聖人が51歳の時、流罪地の佐渡から、門下一同に与えられたお手紙です。
前年の「竜の口の法難」を機に、投獄や所領の没収など、迫害の嵐は門下にも及び、「千が九百九十九人は堕(お)ちて候」(御書907る門下に、“今こそ成仏の時である”と、不惜身命の信心を力強く教えられたのが本抄です。
創価3代の会長が、心肝に染め、あらゆる迫害を勝ち越えてきた師弟勝利の御書でもあります。
本抄の追伸で大聖人は、「心ざしあらん人人は寄合(よりあう)て御覧じ料簡(りょうけん)候(そうらい)て心なぐさませ給へ」(同961ページ)と仰せです。大変な時だからこそ、孤立するのではなく、励まし合うことが大事なのです。
他の御書でも、「互につねに・いゐあわせてひまもなく後世ねがわせ給い候へ」(965ページ)等、顔を合わせ、語り合っていくことを促されています。私たちで言えば「座談会」に集うことです。
 
人間は得てして、一人だけでは、燃え立つような決意も、時間と共に薄れてしまうものです。
また、どんなに強いと思っていても、思わぬ逆境に遭えば、心が折れてしまうこともあります。
逆に、共に信心の原点を確認し、誓いを共有し、励まし合う同志がいれば、どんな障魔の嵐にも倒れずに、勝利と幸福の軌道を歩み抜くことができるのです。(完)