第8回 創価大学 1989年1月 滝山友光の集い 一隅を照らす人材に (2018.12.22)


第3回「滝山友光の集い」で学生たちの熱演をたたえ、拍手を送る創立者・池田先生ご夫妻。
管弦楽や日本舞踊、ダンスなど多彩な演目が披露された(1989年1月16日、創価大学で)
寮生の要望に応え、1988年から行われた「滝山友光の集い」。寮・下宿生をはじめ、留学生らが参加し、合唱や舞踊などを披露してきた。
創立者・池田先生もたびたび出席し、共に食事を取りながら、思い出のひとときを刻んだ。
第3回の集い(89年1月16日)では、創価大学名誉博士である中国・復旦大学の蘇歩青名誉学長と日本の識者との交流を紹介。
青春を生きる学友に、真実の友情の気高さと尊さを語った。
人格と人格、魂と魂で結ばれた絆というものは、どんな嵐にも、ゆらぐことはない。
いかなる試練の峰、苦難の坂にあっても、たがいを固く結びあい、ささえあいながら、時とともに強固なものとなっていく。
まさに、真実の友情こそ、人生の最高の宝であります。
反対に、順境の時は、うるわしい絆で結ばれているように思えても、いざ、逆境となると態度が豹変し、冷淡となってしまう関係もある。
とくに、確固たる「自分」というものをもたなければ、日本人は世界のなかで、深い信頼と友誼の心を分かちあうことができないのではないかと、私は危惧する。
 
中途半端を排せ
1930年11月18日に発刊された牧口常三郎先生の『創価教育学体系』。
池田先生はこの「創価教育」誕生の背景に輝く、牧口先生と戸田城聖先生の師弟のドラマを紹介する。
牧口先生は、高き理想を掲げ、左遷や排斥といった迫害の中で、教育学の草稿を書き留めた。
戸田先生は、師を支えながら、師の教育学説を世に出すために、膨大な草稿の整理・編集を引き受ける。
池田先生は、自らも恩師・戸田先生を守り抜いた体験に触れながら、“創価教育の根幹”ともいうべき歴史と精神に言及した。
いかなる世界にあっても「先駆の人」には、必ず迫害や苦難の嵐がある。
苦難なくして偉大なる仕事を残した人はいない。
難があるからこそ、人間も磨かれ、深められ、大成への道が開かれていくといってよい。
じつは牧口先生の『創価教育学体系』の草稿は、現職の小学校校長としての激務のなかで、時間を生み出しては、広告の紙や封筒の裏、反古紙などに書き綴られたものであった。
何ごとも、整った環境や形式がなければできないというのでは、本物の戦いではない。
むしろ、何もないような厳しい環境のなかから、傑出した創造がなされるのが歴史の常でもある。
当時、戸田先生は、昼は私塾の時習学館で教え、夜は中央大学で学ばれていた。
その多忙きわまる生活のなかで、師より託された、この仕事に心血を注ぎ、見事に完成させておられる。
中途半端はどこまでいっても中途半端である。何事もなしえない。
いわんや峻厳な師弟の関係に中途半端は許されない。
戸田先生は後に「陰の力であった自分のことは、だれ一人ほめもしなかったが、私は一人、会心の笑みを浮かべていた」と述懐されている。
──これでいいんだ。
牧口先生の思想が世に出、この本が評価されれば、自分にはこれ以上の喜びはない。
そういう心境であられたと私は思う。
古今東西、まことの弟子の道とは、そういうものであります。
1951年(昭和26年)5月3日。
嵐を乗り越えて、晴れの会長就任の日を迎えられた戸田先生の姿を見ながら、私もまったく同じ喜びをかみしめていた。
だれが知らなくてもよい。だれが認めなくてもよい。
無認識な世間の評価など問題ではない。
ただ師の大いなる理想を、わが渾身の力で実現し、証明していく。
ここにのみ「弟子の証」がある。
そして一切の毀誉褒貶を超越して、胸中の真実に生きゆく「人間の証」があります。
池田先生はさらに、牧口・戸田両先生の理想は、「花開く時を迎えた」と強調。
自己の舞台で新たなる「平和の価値」「文化の価値」「人生の価値」を創造する創大生・学園生の前途に大きな期待を寄せた。
どうか日々、はつらつと健康であっていただきたい。
お父さん、お母さんが喜び、安心してくださるように、自分で工夫して心身を鍛え、勉学に励んでほしい。
そして全員が新世紀の大いなる舞台へと勇躍、躍りでていっていただきたい。
「一隅を照らす」という言葉があります。
皆さん一人一人が、それぞれの分野にあって、“一隅を照らしゆく”人材に成長されんことを心から念願し、記念のスピーチとさせていただく。