無冠の友への新春メッセージ 池田大作 2019年1月24日

創価勝利の道を共々に 
安全最優先・絶対無事故・健康で 
 
厳冬を越えて爛漫と咲く桜。使命の道を歩む無冠の友には、功徳の花が満開に咲き誇る(2010年4月、池田先生撮影。東京・八王子市)
厳寒の冬も、夜明け前から本紙配達に駆ける「無冠の友」。全国の皆さまに支えられ、本紙は20日付で2万号の佳節を刻んだ。その尊き力走こそが、地域広布の要である。ここでは、配達員の機関紙「無冠」の新年特集に掲載された、
池田先生の新春メッセージを紹介する。 

敬愛する「無冠の友」の皆さん、新春、おめでとうございます! 
来る日来る朝、尊き皆さんが真心込めて、一軒また一軒と、届けてくださる聖教新聞こそ、「創価勝利の年」の希望と勇気の暁鐘です。 
御本仏・日蓮大聖人は、正月を寿ぐ門下の志を讃えられ、「人は善根をなせば必ずさかう」(御書1562ページ)と仰せになられました。 
新しい一年も、一日一日、最高の「善根」を積まれゆく皆さん方が勝ち栄えていかれることは、断じて間違いありません。いつもいつも、一番お世話になり、本当にありがとうございます。 
どうか、本年も、よろしくお願いいたします。 
  
「歴史を動かし 創っていくのは/一人の 英雄ではない/生命をかけて戦う 陰の人なのだ」
──これは、1969年(昭和44年)の元日に、私が「無冠の友」にお贈りした詩の一節です。 
以来50年、まさしく生命をかけて戦う「無冠の友」の陰の大奮闘のおかげで、世界広宣流布の壮大なる歴史が創られました。 
本年11月18日には、「創価学会 世界聖教会館」が、いよいよ落成いたします。
日々鳴り響く建設の槌音が、私の命に、毎朝、新聞を配達してくださる皆さんの、人生勝利の前進の足音と重なり合って響いてきます。 
現在、鉄骨も組み上げられ、急ピッチで建ち上がって見える世界聖教会館ですが、実は、土台などをつくるため、1年半以上もの月日が費やされました。 
万般にわたって、見えない土台づくりは地味であり、華やかさもありません。
しかし、この労作業が最も重要であり、土台が固まって初めて、壮大な建築も可能となります。 
広宣流布における見えない土台づくり──それは、誰が見ていなくとも、地道に、誠実に、辛抱強く、誓願の道をまい進する同志の歩みです。 
なかでも、日本の津々浦々で、「無冠の友」が日々、先駆を切って踏み固めゆく大盤石の土台があればこそ、我らの広布の城はいかなる嵐にも揺るがないのであります。
そしてまた、その一歩一歩は、皆さん方の人間革命の不滅の足跡となり、必ずや生々世々に崩れざる大福運の土台となっていくでありましょう。 
昨年は、災害が列島各地で続きました。
ライフラインがストップした中を無冠の方々が、「この新聞が、どれほど皆の希望になるか」と題目を唱えながら、聖教を届けてくださったことも、私は胸を熱くして伺いました。 
創価の師父・牧口常三郎先生は教えてくださっています。
「遠大な理想をいだき、目的観を明確にしながら、身近な足元から実践するのが、正視眼的生活である」と。 
先日も、最難関の国家試験に不屈の挑戦を貫いて合格した青年が、うれしい便りをくれました。
そこには、“無冠の友としての日々の配達から、何物にも代え難い「爽快感」「達成感」「充実感」を得ました。
それが何よりの勝利への原動力になりました”との気高い真情がつづられていたのです。 
今、聖教新聞で連載されている写真企画「輝く無冠の友」の紙面を拝見するたびに、御書に仰せ通りの「陰徳陽報」の神々しいまでの生命の輝きに、感謝の合掌をしております。 
   
折しもこの1月、聖教新聞は発刊から2万号を刻みます。
恩師・戸田城聖先生の「日本中、世界中の人に読ませたい」との願いのままに、1955年(昭和30年)6月の配達員制度の開始以来、「無冠の友」との共戦の一号一号が、私たちの黄金の日記文書であります。 
今や、世界各国においても、多くの機関紙・誌が誕生し、「広宣流布と人間革命のドラマ」を、互いに発信し合う“聖教新時代”が到来しています。 
ロシアの文豪トルストイは、「真の知識の道はただ一つ、人間いかに生くべきかを知ることのみが必要なのだ」(北御門二郎訳『文読む月日〈中〉』筑摩書房)と訴えました。 
人類の進むべき幸福と平和の正道を示しゆくのが、聖教新聞の大使命です。
その柱であり、エンジンである配達員の皆さんの功労は、時とともに、いやまして輝きを放ちゆくことでありましょう。 
   
これから寒さが一段と厳しくなります。強盛な祈りを根本に、どうか疲れをためないよう、聡明に工夫をなさってください。
配達前の準備体操を励行し、積雪や路面の凍結などに細心の注意を払いながら、安全最優先、絶対無事故の配達をお願いいたします。 
大聖人は、遠路を越え訪ねてきた信心の深き門下を、「かかる所へ尋ね入らせ給いて候事・何なる宿習なるらん、釈迦仏は御手を引き帝釈は馬となり梵王は身に随ひ日月は眼となりかはらせ給いて入らせ給いけるにや、ありがたしありがたし」(御書1438ページ)と讃えられています。 
私には、無冠の皆さんへの御賞讃と重なって拝されてなりません。 
皆さんの勇気の一歩こそ、創価勝利の一歩です。宝の皆さん方の健康と、無冠家族の幸福と栄光を、朝な夕な、私は妻とさらに強盛に祈り抜いてまいります。 
この一年も、新たな「人間革命」の勝利劇を晴れ晴れと飾りながら、私と共に、全世界の創価家族と一緒に、勇気凜々と前進しましょう! 
どうか、お元気で!