池田先生と宮城  (2019.3.1)

わが地域の幸福責任者に
「霊屋(おたまや)橋」から望む広瀬川198774日、池田先生撮影)。
先生は「杜の都・仙台には、広瀬川を眼下にして、私たちが忘れることのできない、あの青葉城がある」と。
滔々と流れる川のごとく、後継の人材の流れを未来へ!
 
広布に一人立て
間もなく東日本大震災から8年を迎える。宮城の友は、愛するふるさとの復興へ、力を尽くしてきた。
その地域貢献の精神は、池田先生から示された指針でもある。
1978年(昭和53年)11月、池田先生は本格的な「地方の時代」の到来を展望した提言を本紙紙上で発表した。
79年(同54年)1月、宮城の新年幹部会では「東北こそ『地方の時代』の先駆」と期待を寄せている。
先生は2003年(平成15年)1月の随筆で、使命に燃える宮城の友に“わが地域の幸福責任者に”と呼び掛けた。
「地域広布」の第一歩は、誰がなんといおうが、自分が「一人立つ」ことだ。
数世帯の小さな集落でも、マンションの同じフロアでも、あるいは地区やブロックのなかでもよい、「自分が地域の幸福の責任者である」との使命感に立つことだ。
この「一人立つ」決意なくしては、エンジンなしに車を動かすようなものだ。
御義口伝には「此(ここ)を去って彼(かしこ)に行くには非(あら)ざるなり」(御書781ページ)と仰せである。
広布の「使命の道場」とは、他のどこかではなく、自分が今いるこの場所なのである。
そして、自分が地域の幸福を担うならば、友情の輪を広げることだ。それには、自ら進んで挨拶を交わし、言葉を交わし、周囲の人びとの「友」になることだ。
「声仏事を為す」(同708ページ)である。笑顔と対話こそ、我らの「心」と「哲学」の表現だ。
さらに、「地域広布」は、一個の人間として、信頼を勝ち得ることから始まる。
それには、日常の振る舞いが最も大事である。一市民として良識ある行動を心掛けていくことも当然であろう。
その上で、なんでもよい、「あの人は光っている」という実証を、自分らしく示していくことである。
お年寄りであれば、いつもかくしゃくとして元気であることそれ自体が、偉大な折伏になっているものだ。
学会のなかで培った面倒みのよさで、内外問わず地域の相談役のような存在になっている方々も多いだろう。
明るい家庭を築くこと、わが子を立派に育てあげること、地域に積極的にかかわること、仕事で勝つこと……見栄や格好でない、誠実に振る舞うその姿が、揺るがぬ信頼を育んでいくのである。
池田先生は折に触れて、宮城の友に「一人立つ」姿勢を訴えてきた。
1987年(昭和62年)75日、仙台市の東北平和会館(当時)で行われた東北の各部合同研修会では「ただ一人立つ確信をもって立つところに、いっさいの仕事ができあがる」との戸田先生の指針を紹介しつつ、語った。
私どもの人生にも、また広宣流布の歩みにも、さまざまな障害や深刻な事態があろう。
そのとき、困難なカベに向かい、敢然と“一人立つ”ことが肝要であり、それがその後の前進への一切の出発となる。
“一人立つ”ならば、必ずや、あとに二陣三陣と、同志の陣列が続くであろう。
また、“一人立つ”強き一念をもつときに、自身の境涯は大きく開け、そのときから人間としてのすべての成長が始まる。
私もまた、何度か学会が苦境にあったとき、いずれの場合も責任者としてあらゆる攻撃の矢面に立ち、同志を守り、戦いぬいてきたつもりである。
戸田先生もまたそうであった。“一人立つ”精神こそ、学会のゆるがぬ伝統精神である。
 
人材の城を築け
広瀬川を眼下にして、青葉城址がある。戸田先生が“学会は人材の城を築け”と永遠の指針を残した城跡だ。
池田先生は、戸田先生と共に、この仙台の地を訪問した歴史を振り返りつつ、「青葉城址で、種々懇談していただいたことが、まことに懐かしい。
ここ仙台には、いくつもの戸田先生との“人生の師弟”の歴史と物語が刻まれている」と述べている。
89年(平成元年)915日、旧・東北文化会館で開かれた本部幹部会の席上、池田先生は、戸田先生の折々の指導を通し、人材育成の根本である信心の基本を確認した。
人は“自分を見つめる”ことを忘れたとき、必ず進歩がなくなる。
また、自分を見つめない人は、人間的な深みも魅力も出てこないし、最後は枯渇せざるをえない。
だからといって、ただ自分を見つめてばかりいて行動のない人には、前進も成長もない。
大切なことは、実践のなかで自分を凝視しつつ、そこで深められた精神を、さらなる価値創造へのバネとしていくことである。
その意味で私どもは日々、御本尊に向かい、唱題することによってみずからを照らし、境涯を深めながら、限りなく前進していくことができる。これほど偉大な世界はないし、価値ある人生はない。
どこまでも信心である。一個の人間として、信仰者として偉大なる境涯を開いていくことである。それが自身の成仏を決定していく。
また実質的に広宣流布を進めていくのである。この原理・原則を、私は厳然と言い残しておきたい。
学会は、歴代会長を中心とした鉄桶の団結で発展のリズムを築き、広げながら、広布の波を幾重にも拡大してきた。
その信心のリズムに「心」を合わせ、「思い」を合わせてきたからこそ、一つ一つの行動が価値を生み、相互に補い、相乗効果となって無限のパワー(力)を生みだしてきたのである。
「心」「思い」といっても、決して特別なことではない。いかに、広宣流布を進めていくか。いかに人々の幸福を開いていくか。
どのように、一人一人の信心を全うさせていくか――その地道にして純一な広布への「祈り」であり、「真心」にほかならない。
「思い」を合わせ、大きなエネルギー源にギアがかみあえば、その人には想像もつかない力が出る。
気持ちよく皆の心が通じ合う。あたたかな世界が広がる。
つねに楽しく新鮮に、広布と境涯の拡大を果たしていくことができる。
すばらしき理想の世界を創造していけるのである。
 
「攻め」の精神
宮城の白石市(しろいしし)には伊達政宗(だてまさむね)の名参謀・片倉景綱(かたくら かげつな)が居城した白石城の跡が残っている。
池田先生は90年(同2年)824日、同市の蔵王平和講堂で行われた本部幹部会の席上、仙台藩の攻撃の拠点であった、この城についてスピーチ。
いかなる戦いも「攻め」の精神に徹してこそ勝利は開ける、と強調した。
戦いにおいては、守ることよりも、攻撃することが勝利の要件である。
学会がこれまで、なぜ連続勝利の歴史をつづり残してこられたのか。
それは一つに、弘法にせよ、何にせよ、つねに前進、すなわち「攻め」の精神に徹してきたからである。
広宣流布のために、悪には断じて負けないという積極的な“攻撃戦”を展開してきたからである。
いかなる戦いにおいても「守り」、受け身に回ってしまえば弱い。道も開けない。
「攻撃は最大の防御」とも言うが、広布の歩みにあっても、一人一人の人生にあっても、積極的に勇気をもって挑戦してこそ道は開かれ、勝利の栄光が築かれていくことを忘れてはならない。