大白蓮華 巻頭言 2019(令和元年) 7月号

日輪の如く師子の如く
 
人の世のいかなる道にも修行がある。その修行に徹(てっ)し、 道を究(きわ)めてきた人には、命の張(は)りがあり、光がある。
日蓮大聖人は「法華経の修行の肝心(かんじん)」を明確に教えてくださった。
不軽菩薩(ふきょうぼさつ)の如(ごと)く「人を敬(うやま)う」ことであり、賢(かしこ)き「人の振舞(ふるまい)」を貫くことである(1174ページ)
それは、その人の仏性を信じ、礼儀(れいぎ)と誠意(せいい)を尽くして会うことから始まる。

その畤は反発されても、こちらの礼拝(れいはい)の一念は、相手の奥底の仏性には必ず通じている。

とともに、庶民を傲慢(ごうまん)に見下(みくだ)し、不幸に陥(おとしい)れる魔性の働きには、勇敢(ゆうかん)に聡明(そうめい)に忍耐強く立ち向かっていくのだ。

御書には、その手本が幾重(いくえ)にも示されている。
日蓮は此の法門を申し候へば他人にはにず多くの人に見(まみえ)て候へ」(1418ページ)とも仰せである。
 
他者とは比較にならないほど人と会われ、語り抜かれた。その上で、「いとをしと申す人は千人に一人もありがたし」(同ページ)と率直(そっちょく)に記されてもいる。  
御本仏の大慈大悲で包まれても”本当に立派な人”は少ないと言われるのだ。   
いわんや凡夫(ぼんぷ)の私たちが末法の衆生の只中で、どれほど苦心しているか、全てご照覧(しょうらん)くださっているに違いない。
まさに「立正安国の対話」は、至難の修行なのである。

だからこそ、福徳もまた大きい。自らの境涯を開く人間革命とともに、一家眷属(いっかけんぞく)も、地域社会も大福運を積み、さらに国土世問(こくどせけん)の宿命まで転換していけるのだ。

「この世の悲惨(ひさん)をなくし、不幸をなくし、人権を、人間の尊厳を守り、平和な社会を築(きず)いていくなかにこそ仏法の実践がある」とは、恩師の関西での宣言であった。
 

ともあれ我らの語らいは、皆が幸せになるための修行である。一歩また一歩が、仏になりゆく道なのである。

法華経の行者は日輪(にちりん)と獅子(しし)との如し」
ゆえに、太陽の如く明るく大らかに、一人一人の心を照らし、仏縁を結び希望の連帯を広げゆこう!
そして、獅子の如く強く堂々と正義を叫び切って、「人の振舞」 という人間主義の勝利の旗を掲(かか)げゆこうではないか!
 
 太陽と
  師子のいのちの
    君なれば
   照らせ 吠えゆけ
    凱旋かざれや