信心と生活 顕益・冥益

 大白博士の個人教授  実践のための教学入門

蓮華君 
    博士、このあいだ、友人から、こう言われたのです。「私の周りにいる学会員は、信心をしてい    るのに、なかなか生活が良くなっているようには見えない。それに対して、信心していない人で    も、幸福そうな人がいる。結局、信仰と幸福とはあまり関係ないのではないか」と。
    そんなことはないと、しっかり反論したのですが、私も少しばかり諸天善神に文句を言いたかっ    たですね。“その人の信心がまだまだ足りないかもしれませんが、もっとはっきりと分かる形     で、祈ればすぐに功徳が現れてもいいんじゃないのか”って。

大白博士 
    ハハハ。蓮華君の怒りも、ついに諸天善神にまで向かっていくことになったね。ちょうどいい機    会だから、今回は、「祈り」と「功徳」の現れ方について学んでいくことにしょう。
    信心の功徳には、はっきりと顕れる「顕益」と、目に見えない「冥益」がある、と仏法では説か    れている。例えば、病気が治ったとか、経済的に裕福になった、といったようなことは「顕益」    と言えるだろう。一方、境涯が大きく開けるようになったとか、日々の生活を充実して取り組め    るようになったということは、人の目には分かりづらいから、「冥益」ととらえていくことがで    きるだろう。
     大聖人は、「祈り」と「功徳」の顕れ方について
      「顕祈顕応」「顕祈冥応」「冥祈冥応」「冥祈顕応」という四つの形をあげられている。