社説 2006・6・26 「一生成仏抄講義」

 師とともに永遠の幸福の道を

 今年1月から「大白蓮華」に毎月、連載されてきた池田名誉会長の「一生成仏抄講義」が、この7月号で最終回を迎えた。
 同講義を教材として、さまざまな単位での学習会も活発に行われてきている。講義では、「人間主義の宗教」である日蓮仏法が、一人ひとりが真実の幸福を実現できる希望の宗教であることが語られてきた。

 自らが人生を切り開く

 日蓮大聖人の仏法では、だれもが自身の信仰の実践によって仏界を現し、この一生のうちに、永遠に壊れることのない幸福境涯を確立できる。つまり、だれかに祈ってもらったり、何かにすがるのではなく、だれもが自ら“信仰の主体者”として、自身の祈りと行動で自他ともの幸福を実現していくことができるのである。
 講義の第6回「己心の妙ー心の師とはなるとも心を師とせざれ」、また第7回「一生成仏の信心ー師弟不二の大道を確かに歩め!」は、一生成仏を実現するうえでの要諦となる。「師弟」をテーマに展開されている。「信仰をつらぬくうえで、何をよりどころとしていけばいいのか、あらためて確認することができた」など、読者の大きな反響を呼んでいる。
 仏法は、どこまでも「法根本」である。しかし、法は生命の上に花開く。そして「法根本に生きる生き方」は、あらゆる困難と戦いながら、その法とともに歩み抜く人(=師匠)を持たずしてあり得ないとも言える。
 何かあると揺れ動く自身の心を師としてしまっては、何があっても信仰を貫く、その正道を踏み外してしまう。信仰の根本目的である「一生成仏」を、過つことなく実現するための最も確実な軌道こそ、「師弟」にほかならないと言えるのである。
 名誉会長は講義の中で語っている。「仏法で説く師匠とは、衆生に、自らの拠り処とすべき「法」が自分自身の中にあることを教えてくれる存在である。法を体現した師匠、法と一体となった師匠を求め、その師匠を模範と仰いで弟子が実践していく。そのとき、「心の師」となる生き方が実現するのです」(第6回)

  「心の師」を持つ生き方

 そして、師弟に生きる同志は、己心の無明を打ち破って、くめども尽きぬ妙法の功力を自身に花開かせながら、至極の満足と充実の人生を間違いなく築きゆける。今、稀有の師とともに広布に進める福運と喜びをあらためてかみしめ、心を鍛える日々でありたい。

  わが友に贈る

    青年を育てよ!
    全幹部が
    総力をあげて。
    そこに発展の急所が。

   今週のことば

    広宣流布とは
    人にあうことだ。
    新鮮な触発を!
    誠実と確信で
    新たな手を打て!