妙法尼御前御返事 現代語訳 女子部教学室編

   妙法尼御前御返事   弘安元年(1278年)57歳御作

 あなたからのお手紙に、「亡くなられた夫は南妙法蓮華経と昼夜にお唱えし、いよいよ臨終が近くなって、二声、大きな声で唱えました。また、亡くなった時は、生きていた時よりもさらに色も白くなり、苦しんで顔かたちがゆがむようなことはありませんでした」とありました。
 法華経には「如是相(中略)本末究 等」(方便品)、『大智度論』には「臨終の時に色が黒くなっていく者は地獄に堕ちる」、守護国界経には「地獄に堕ちるには十五の姿があり、餓鬼の世界に生ずるには八種の姿があり、畜生の世界に生ずるには五種の姿がある」、天台大師の『摩 止観』には「身の色が黒くなるのは地獄の闇に譬える」とあります。
 
 考えてみれば、日蓮は幼少の時から仏法を学びましたが、このように念願しました。
 「人の寿命は無常である。出る息は入る息を待つことがない。風の前の露のはかなさもなお譬えにならない。賢い者も愚かな者も、老いている者も若い者も、いつ死ぬか分からないのが世の常である。であればこそ、まず臨終の事を習って後に他の事を習おう」

 このように思って、釈尊一代の経と正法・像法時代の仏教者たちの著作をほぼ考察し、まとめて、これを明鏡として、すべての人々の死ぬ時、および臨終の後とに引き合わせてみると、少しも曇りがありません。

 この人は地獄に堕ちた、あるいは人界・天界に生じたとはっきりわかるのに、世間の人々は、自分の師匠や父母たちの臨終の姿を隠して、西方極楽浄土に往生したと言ってばかりいます。悲しいことに、師匠は地獄・餓鬼・畜生などの世界に堕ちて多くの苦しみに耐えられずにいるところを、弟子はこの世界に留まって師匠の臨終を賛嘆して、かえって地獄の苦しみを増長させています。これは、罪の深い者をその口を塞いだまま問いただしたり、腫れたでき物の口を開けないでおいて、よりひどくしてしまうようなものです。

 とこらが、このたびのお手紙に「亡くなった夫は、生きていた時よりもさらに色が白くなり、顔かたちがゆがむこともありませんでした」とありました。天台大師は「いっそうきわだって白くなる相は天界に譬える」と言い、『大智度論』には「臨終のとき白い肌に赤みがさし、端正な者は天上界に生まれる」とあります。天台大師のご臨終を記したものには「色が白かった」とあり、釈尊一代の経を定めた法門の言葉には「悪業を積んだ者は六道に留まり、善業を積んだ者は四聖となる」とあります。これらの文証と現証をもって考えてみると、亡くなったご主人は天界に生まれたと言えるでしょう。