8月度の拝読御書

             上野殿後家尼御返事
 法華経の法門をきくにつけて・なをなを信心をはげむを・まことの道心者とはもうすなり、天台云く「従藍而青」云々、此の釈の心はあいは葉のときよりも・なをそむれば・いよいよあをし、法華経はあいのごとし修行のふかきは・いよいよあをきがごとし


上野殿後家尼御返事(御書全集1505ページ8行目から10行目)

★南条兵衛七郎入道行僧の妻。南条時光の母。上野尼御前と同じ。 →上野尼御前〔参考〕上野殿後家尼御返事〔御〕一五〇四
★文永十一年 (一二七四年) 七月、五三歳の日蓮大聖人が身延より駿河国静岡県富士郡上方荘上野郷に住む南条七郎次郎時光の母に宛てて送られた御消息。内容は亡夫の追善供養のために大聖人に御供養の品々を送られたのに際し、即身成仏の法門について述べられ、故人の冥福を祈られると共に当人の信心を励まされている。
本抄で大聖人は、法華経の信心に生き抜いた夫の兵衛七郎は生死ともに仏であることは間違いないと断言されています。さらに地獄も寂光土も自身の生命の内に具わるものであり、妙法を信じ抜けば、地獄も即寂光土と輝かせていくことができると教えられています。そして、この法門を聞くたびに、いよいよ求道心を燃やし、信心に励んでいくよう促されています。さらに、夫の追善を心ゆくまで祈り、悲しみを乗り越えていくよう励まされています。


通解
 法華経(三大秘法の南無妙法蓮華経)の法門を聞くたびに、ますます信心に励む人を、本当の道心者(仏道修行に励む人)というのです。天台大師は摩訶止観の中で「(青は藍より出でて)しかも藍より青し」と述べています。この釈の意味は、藍は葉の時よりも、染めれば染めるほど、いよいよ青い色が濃くなる。法華経(御本尊)は藍のようなもので、信心の修行が深いことは、藍が染めるにしたがってますます青くなっていくようなものである-ということです。