きょうの聖教新聞 2006・9・12

★社説
   竜の口の法難と“発しゃく顕本”

 来月1日に実施される「青年部教学試験2級」に全力で取り組む青年部を先頭に、今、全国各地で教学研鑽の息吹が高まっている。海外に目を向けても、この秋にアメリカでは3万人が教学試験に参加し、ヨーロッパで1万2000人が任用試験を受けるなど、世界の友が平和と幸福の哲理を真摯に求める時代に入った。きょう9月12日は、日蓮大聖人が「竜の口の法難」に遭われた日。その深い意義を確認し合いたい。

  御本仏の「本地」顕す

 文永8年(1271年)、大聖人との“祈雨の勝負”に惨敗した極楽寺良寛は謀略を企て、幕府の要人とその夫人たちに画策。大聖人は、同年9月12日午後、幕府権力によって捕縛され、同日深夜、竜の口の頸の座へと引き立てられた。
 しかし、頸を切ろうとしたその時、「月のごとく・ひかりたる物」(御書914ページ)が出現し、処刑は中止せざるをえなくなった。
 大聖人は、「開目抄」のなかで、この法難を振り返って「日蓮といゐし者は去年九月十二日子丑の時に頸はねられぬ、此れは魂魄・佐土の国にいたりて」(同223ページ)と仰せになっている。
 実際に斬首されていないのに「頸はねられぬ(首を刎ねられた)」と仰せなのは、それ以前の凡夫としての御自身は竜の口で終わったとの意味であり、佐渡に至った「魂魄」とは、この法難で顕になった大聖人の御内証である。
 名字凡夫という「しゃく(仮の姿)」を発いて、久遠元初の自受用身としての「本地(本来の境地)」を顕すーこの大聖人の発しゃく顕本は、大聖人が末法の御本仏としての御立場に立たれた重要な意義をもつ。
 その意義を踏まえた上で、さらに発しゃく顕本の法理について、池田名誉会長は『開目抄講義」で次のようにつづっている。

   凡夫成仏の「証明」「手本」

 「日蓮大聖人の発しゃく顕本は、末代のあらゆる凡夫に通じる成仏の『根本原理』を示されている。また、その『証明』であり、『手本』なのです。妙法への揺りがぬ信があれば、万人が、自己の凡夫の肉身に、宇宙大の境涯を広げることができる。いわば、末法の全民衆の発しゃく顕本の最初の一人となられたのが日蓮大聖人であられる」
 私たちも、いかなる障魔にも恐れることなく、勇気ある信心を貫くことで、絶対的幸福境涯を確立することができるー。大聖人が示してくださった、成仏の直道を歩める喜びをあらためてかみしめ、「行学の二道」に励みたい。


アメリカ ニューオーリンズ市 池田SGI会長夫妻に感謝状
  ご夫妻はわが市に育ててくださった  非暴力を広げる青年を
  ハリケーン災害から1年 復興へ! 希望へ! 模範の大スクラム

★第63回本部幹部会 第4回北海道栄光総会での名誉会長のスピーチ

  全員が勝利者 幸福者に!  上昇の波に乗るのは今!
  座談会こそ広布の推進力

★わが友に贈る
  座談会は
  体験が柱だ。
  信心のすばらしさを
  生き生きと語り
  朗らかな成長広場に。