名誉会長「霊鷲山」と「彼岸」を語る〔中〕2006-9-17

◆裟婆即寂光(しゃばそくじやっこう)=現実を寂光土に



 一、法華経では、この霊鷲山に幾十万もの衆生が雲集(うんじゅう)したと説かれている。

 実際の霊鷲山は、決して大きくはなく、それほどの数の衆生が集まるのは、とうてい不可能であると、私は思った。

 戸田先生は、この点について、法華経の会座(えざ)にいる衆生は、釈尊己心の衆生であると、明快に解釈なされていた。

 現実の霊鷲山は、緑が少ない荒涼とした岩山のような所であった。

 御書には、この山には、遺体を捨てる場所があり、それを食べる鷲が住んでいるところから「霊鷲山」と名づけられた、とも記されている。〈811ページ〉

 その霊鷲山で、壮大な、大宇宙も包含しゆく法華経の会座(えざ=虚空会)が繰り広げられたことに、大聖人は甚深(じんじん)の意義を見いだされている。

 そして、「娑婆即寂光」という仏法の真髄の原理を展開されていくのである。

 「娑婆(しゃば)」とは、堪忍(かんにん)世界と言われるように、生きていくために堪え忍ばねばならない苦難多き現実世界をいう。

 また「寂光」とは、常寂光土のことで、仏が住む荘厳にして清らかな平和な浄土である。

 霊鷲山は、まさしく、生老病死の苦に満ちた娑婆世界を象徴している。

 その霊鷲山と離れずに、その霊鷲山の中で、「法華経の会座」という寂光土が現出しているのである。

 すなわち、真の仏法とは、現実から離れず、現実の真っただ中で、人々の苦悩と真っ向から向き合いながら、その打開の道を説き示すものであった。

 そして、苦難に満ちた現実世界を、希望の宝土(ほうど)に転換しゆくのである。

 私には、この「娑婆即寂光」の法理が、「霊鷲山」「霊山浄土」という仰せに凝結していると拝することができた。



◆仏法の真髄は「今、ここ」に



 一、御書には、こうも記されている。

 「法華経を行ずる日蓮等が弟子檀那の住所はいかなる山野なりとも霊鷲山なり」(811ページ)

 「惣(そう)じて一乗(いちじょう)南無妙法蓮華経を修行せん所は・いかなる所なりとも常寂光の都・霊鷲山なるべし」(同ページ)

 「霊山浄土」とは、西方極楽浄土のように、死んだ後に娑婆世界を離れて往生する別世界では、決してない。阿弥陀仏のような他力(たりき)にすがって往生する所ではない。

 御義口伝には、「法華経を持(たも)ち奉る処を当詣(とうけい)道場と云うなり此(ここ)を去って彼(かしこ)に行くには非ざるなり」(御書781ページ)と仰せである。

 現実を離れ去って、どこか他の世界に幸福や安穏を求めるのではないのだ。

 大聖人は、次のようにも仰せである。佐渡流罪の大難の中で認(したた)められた御言葉である。

 「私たちが住んで、法華経を修行する所は、どんな所であれ、常寂光の都となるであろう。

 私たちの弟子檀那となる人は、一歩も歩むことなくして、天竺(てんじく=インド)の霊鷲山を見、本有の(ほんぬ=永遠の昔から存在する)寂光土へ昼夜に往復されるのである」(同1343ページ、通解)

 要するに、大聖人に連(つら)なり、広宣流布の魂を燃やして、妙法を実践する人がいる所こそが、常寂光の浄土なのである。

 仏法の真髄は、どこか遠くにあるのではない。今、ここに厳然とある。今、ここを離れて、仏法はない。



◆宗教革命の先端



 一、こうした大聖人の仏法の本義からすれば、特別な「聖地」や「霊地」に詣でなければ成仏できないということは、決してない。

 私と対談集を発刊した、国際宗教社会学会の初代会長であったブライアン・ウィルソン博士は、次のように論じておられた。

 「日常生活のなかでの信仰実践と、よりよい人間社会を建設していく努力を続けていくことこそ、本来の宗教の使命であるはずである」

 学会は、この宗教革命の最先端を堂々と進んでいる。このことは、聡明な皆さま方も明白にお分かりであると信ずる(大拍手)。

           (〔下〕に続く)