2006-10-24から1日間の記事一覧

名誉会長「霊鷲山」と「彼岸」を語る〔下〕の3 2006-9-17

◆地涌の菩薩の偉大な陣列 一、日淳(にちじゅん)上人は、こう語っておられた。 「法華経の霊山会において上行を上首として四大士(しだいし=四大菩薩)があとに続き、そのあとに六万恒河沙(ろくまんごうがしゃの大士の方々が霊山会に集まって、必ず末法に…

名誉会長「霊鷲山」と「彼岸」を語る〔下〕の2 2006-9-17

◆家族と再び巡り会う場所 一、ともあれ、「霊山浄土」は、信心を貫き通して、一生成仏を果たした人が、等しく到達できる大境涯の仏の世界である。 したがって、そこでは、深き生命の次元で、師弟が出会い、親子・夫婦・兄弟が出会い、わが同志たちが出会うこ…

名誉会長「霊鷲山」と「彼岸」を語る〔下〕 の1 2006-9-17

◇ 名誉会長 「霊鷲山」と「彼岸」を語る 〔下〕 朗らかに 集いしこの地が霊鷲山 皆が仏か 皆が菩薩か 「生命は永遠」「幸福は絶対」 ≪大聖人が子を亡くした母に≫ 「日月が大地に落ちても潮の干満がなくなっても題目を唱え女人が愛する子に会えぬことはない」…

名誉会長「霊鷲山」と「彼岸」を語る〔中〕2006-9-17

◆裟婆即寂光(しゃばそくじやっこう)=現実を寂光土に 一、法華経では、この霊鷲山に幾十万もの衆生が雲集(うんじゅう)したと説かれている。 実際の霊鷲山は、決して大きくはなく、それほどの数の衆生が集まるのは、とうてい不可能であると、私は思った。…

名誉会長「霊鷲山」と「彼岸」を語る〔中〕2006-9-17

◆日蓮仏法は毎日が彼岸 一、ともあれ、本来、仏法における「彼岸」の本義は、どこまでも「成仏の境涯」、また「成仏に到る実践」にある。 先祖供養とは関係がなかったといってよい。大聖人の御書でも、「彼岸」という言葉を、先祖供養の意義で用いられている…

名誉会長「霊鷲山」と「彼岸」を語る〔上〕 2006年9月17日

◇ 名誉会長「霊鷲山」と「彼岸」を語る〔上〕 命あるかぎり前へ! 前へ! 師弟の道に 永遠の勝利が 不惜身命が学会の魂 ─ 師匠は命懸けで弟子を育てた ─ 弟子は命懸けで師匠を守った 【「霊鷲山」と「彼岸」を語る】 一、私の青春は、恩師・戸田先生に捧げた…

きょうの聖教新聞 2006・10・24

★名字の言 ▼長崎港から船で約40分の沖合いに浮かぶ高島。近代日本の発展とともに、島は“黒いダイヤ”と呼ばれた石炭によって栄えた。しかし、石炭から石油へと、エネルギー政策の見直しにより、1986年(昭和61年)11月、炭鉱の島の歴史に幕が下りた…