名誉会長「霊鷲山」と「彼岸」を語る〔下〕の2 2006-9-17

◆家族と再び巡り会う場所



 一、ともあれ、「霊山浄土」は、信心を貫き通して、一生成仏を果たした人が、等しく到達できる大境涯の仏の世界である。

 したがって、そこでは、深き生命の次元で、師弟が出会い、親子・夫婦・兄弟が出会い、わが同志たちが出会うことができる。これが真実の法則なのである。

 たとえ、今世で相まみえることができなかったとしても、「霊山浄土」において、妙法の師弟、妙法の同志、妙法の家族として巡り会うことができるのである。

 これが真実の生命の実態なのだ。

 身延におられる大聖人と再びお会いする機会がなかった、佐渡の年配の門下・国府尼(こうあま)に対して、大聖人は、「霊山浄土」での師弟の再会を教えておられる。

 「日蓮を恋しく思われるならば、出(い)づる太陽、夕べに出づる月を常に拝されるがよい。私は、いつでも日月に姿を浮かべる身です。また、今世を終えたあとは、ともに霊山浄土にまいり、お会いしましょう」(同1325ページ、通解)

 さらに、最愛の我が子・弥四郎(やしろう)を失った母・光日尼にあてたお手紙では、こう述べられている。

 「今の光日上人(光日尼)は、わが子を思うあまり法華経の行者となられた。よって必ず母と子がともに霊山浄土へ参ることができよう。そのときのご対面は、どんなにかうれしいことであろう。どんなにかうれしいことであろう」(同934ページ、通解)

 同じく、わが子・五郎(南条時光の弟)を突然亡くした上野尼御前(南条時光の母)へのお手紙では、こう綴っておられる。

 「(亡くなられたご子息に)やすやすとお会いになる方法があるのです。釈迦仏を御使いとして、霊山浄土へ参り、会われるがよいでしょう。

 (法華経方便品第二に)『若し法を聞く者あらば、一人として成仏せずということ無けん』と言って、大地をさして外れることがあっても、日月は地に落ちられても、潮の干満がなくなる時代はあっても、花は夏に実にならなくても、南無妙法蓮華経と唱える女性が、愛しく思う子に会えないということはない、と説かれているのです。急いで急いで唱題にお勤めなさい、お勤めなさい」(同1576ページ、通解)

 霊鷲山で説かれた法華経の会座は、地涌の菩薩が滅後末法の娑婆世界の広宣流布誓願する場所であった。

 地涌の菩薩は、この「霊山浄土」から使命を果たすために娑婆世界へと出発し、また、使命を果たし終えて、「霊山浄土」へ再び還っていく。

 したがって、霊山浄土とは、地涌の菩薩にとって「永遠の生命の故郷」であり、「永遠の妙法の同志の世界」なのである。

 そして、永遠に満足と勝利と、最高の意義深き生命の回転をなしゆくことができる「常楽我浄(じょうらくがじょう)」の世界なのである。



◆根幹を忘れるな



 一、大聖人は「開目抄」で、御自身の不惜身命の精神と、広宣流布の大願を明かされた。そして、門下一同に師弟不二の信心を呼びかけておられる。

 「我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし、天の加護なき事を疑はざれ現世の安穏ならざる事をなげかざれ、我が弟子に朝夕(ちょうせき)教えしかども・疑いを・をこして皆すてけんつた(拙)なき者のならひは約束せし事を・まことの時はわするるなるべし」(御書234ページ)

 これまでも心肝に染めてきた御聖訓である。これが学会精神の根幹である。

 さらに、それに続いて「我法華経の信心をやぶらずして霊山にまいりて返てみちびけかし」(同ページ)と仰せである。

 師弟不二の信心とは、苦難のときこそ、師と共に、一歩も退かず、広宣流布の大願に生き抜いていく信心である。

 この師弟不二の信心を断じて破らず、勇敢に貫き通す大生命にこそ、霊山浄土の大境涯が三世永遠に豁然(かつぜん)と開かれるのである。

 そして自らの眷属(けんぞく)も、全部、霊山浄土へと導いていくことができる。

 一方、師弟の約束を、まことの時に踏みにじった忘恩背信の退転・反逆の輩は、霊山浄土には絶対に行くことができない。

 必ず無間地獄(むけんじごく)に堕ちて、無量劫を経たのちに、再び日蓮の弟子となって成仏することができると、大聖人は説かれている。



◆生死を超えて安穏(あんのん)の大境涯



 一、健気な信心を貫いた人は、霊山浄土で、釈迦仏・多宝仏・十方の諸仏に迎えられ、これらの仏に親しく対面している ── 大聖人は、こう仰せである。

 佐渡の門下であった阿仏房(あぶつぼう)が亡くなった後、妻の千日尼を励まされた御聖訓には、次のように記されている。

 「亡くなられた阿仏房の聖霊(しょうりょう)は、今、どこにおられるであろうかと人は疑っても、法華経の明鏡(めいきょう)をもって、その影を浮かべてみるならば、霊鷲山の山の中、多宝仏の宝塔の内に、東向きに(釈迦・多宝の二仏と向かい合って)座っておられると、日蓮は見ております」(同1319ページ、通解)

 阿仏房は妻の千日尼とともに、大難のなかで、大聖人を支え抜いた。

 それは、まさしく、大聖人の法華弘通(ほっけぐつう)の大願を支え、実現していく戦いであった。

 その心は、「地涌の菩薩」の心そのものであった。

 この阿仏房夫妻の永遠の勝利の大境涯を、大聖人が御約束してくださっているのである。

 今、全世界の同志が、仏意仏勅(ぶついぶっちょく)の広宣流布の団体である創価学会を支えてくださっている。

 この地涌の信心を貫き通すならば、現世は常に、仏界の生命が涌現して安穏である。亡くなった後もまた、霊山という安心立命(あんしんりつめい)の「生命の故郷」に住することができる。

 反対に、広宣流布の大願を忘れ、安逸(あんいつ)に堕(だ)し、名聞名利・私利私欲にとらわれる。

 ついには、大恩ある学会に、かえって弓を引いて、異体同心の和合僧を破壊しようとする。

 そうした反逆者の罪は、あまりにも深い。



◆仏の大生命がすべて御本尊に



 一、ともあれ、霊鷲山の儀式(虚空会の儀式)それ自体が、仏の宇宙大の生命をあらわしている。

 大聖人は、地涌の菩薩の“棟梁(とうりょう)”として、御自ら広宣流布の大願に生き抜かれた。

 そして、法華経の会座を用いて、御自身の大境涯を、御本尊としてあらわしてくださったのである。

 この御本仏の生命の大功徳は、すべて御本尊に納まっている。中央には、厳然と「南無妙法蓮華経日蓮」とお認(したた)めである。

 大聖人は、御義口伝で、御本尊こそ霊山の儀式をあらわし出したものであることを明かされ、そのお姿を「霊山一会儼然未散(りょうぜんいちえげんねんみさん=霊山の一会は儼然として未だ散らず)」(同757ページ)と示されている。

 また、大聖人と同じく、南無妙法蓮華経を唱え、妙法を実践する所には、霊鷲山の儀式が厳(おごそ)かに現前(げんぜん)する。そして、永遠に消えることはない。



創価学会の原点



 一、現代において、この甚深の義を会得して立ち上がった広宣流布の指導者こそが、牧口先生であり、戸田先生である。

 大宇宙に本来具わる大生命力が、人間の価値創造の力の源泉である。

 そして妙法こそ、この大生命力の本体である ── 牧口先生は、こう確信なされた。

 そして、大弾圧にも最後まで退くことなく、壮絶な殉教をされたのである。

 戸田先生は、牧口先生との師弟の道を貫き、獄中生活を強いられた。

 その獄中で、唱題と思索を重ねていったとき、まさに、法華経の会座に地涌の菩薩として参列している自身を感得された。

 「霊山一会儼然未散」を身をもって体験されたのである。

 この地涌の使命の自覚をもって、戸田先生は学会再建に立ち上がられた。

 そして、七十五万の地涌の菩薩を呼び出す、大法弘通の大願に生き抜かれたのである。



  大願の人生を生きよ!

  ─ 広宣流布は三類の強敵との大闘争

  ─ 「創価学会の皆さまこそ仏の集まり」...〔日淳上人〕

  霊山は 師弟の勝利の山

 ≪日興上人≫ 「我一人、師の本意を忘れない」