生活に生きる数学 一筆書きの問題

抽象化することで本質が見える
創価大学助教授 ・ 北野晃朗
2007年1月23日付


現実における様々な問題に対して数学、あるいは数学的思考がどのように役立つかについて、一つの考えを述べてみたい。
 全国で多くの年賀状のやり取りがあった。そこで受け持ちの地域で、なるべく無駄のないように、郵便配達をするにはどうしたらよいであろうか? もちろん、実際には交通量、地形など様々な事柄が関係してくる。
 しかしここでは単純に平面的な地図だけから考えることにすると、この問題は、「一筆書きをしなさい」ということになる。
 一筆書きとは、ペンを紙から一度も離さずに図形を描くことができるかどうかをいう。例えば、書き順を無視すれば漢字の「日」は一筆書きできるが、「目」はできない。
 この一筆書きについて「ケーニッヒベルグの橋渡り」という有名な問題がある。ケーニッヒベルグは哲学者カントが暮らしたことでも有名な町。昔はドイツ領であったが、現在はリトアニアポーランドに挟まれたロシア領(飛び地)でカリーニングラードと呼ばれる。この町は七つの橋で結ばれていた(イラスト参照)。
 問題は「この七つの橋を一度ずつ渡って元の場所に戻ってくることができるか?」というものである。ただし同じ橋を2回以上渡ってはならない。
 これをまず素朴に考えてみよう。適当に試してみると、どれもうまくいかないことが分かる。どれを試したか、覚えておくのも大変である。
 しかし、数学者オイラーは「これはできない」と即座に断言したという逸話が残っている。
 オイラーは地図を単純化して、重ねて描いたような図形に置き換えた。一筆書きができるかどうかは、線が直線か曲線かなどには全く関係しない。大事なことは、どの点とどの点がどのように結ばれているか、というのだ。
 オイラーは次のように考えた。
 一筆書きができるとすると――。途中で通過する点については、入ってきたら、必ず出て行かなくてはならないから、すべて偶数本の線がなければならない。スタートする点については、偶数本の線があるときには、出て行く道と、帰ってくる道が、必ず対になるから、その場所がゴールとなる。奇数本ある点からスタートしたときには、ゴール地点も奇数本になるので、2カ所だけが奇数本となる。
 図を見てみると、それぞれの点から3本あるいは5本の線がでている。4カ所が奇数本なので、この図形は一筆書きができない、ということになる。
 数学は抽象的なため、そこに現れる数式や図形が、無味乾燥に感じる人も多い。しかし、この橋渡りの問題のように、抽象化して初めて本質が見えてくることがある。
 抽象化とは「一見すると全く異なるように見える現象の中に隠れている共通の性質をみる」と言うことができる。また「本質的なことと、そうでないものを区別する目」と言うこともできよう。そういう目を、鍛え、養うことが、数学を学ぶ一つの意味ではないだろうか。
 (創価大学助教授)



略歴

  きたの・てるあき 1965年、山口県生まれ。理学博士。東京工業大学助手、助教授を経て、現職。専門分野は位相幾何学トポロジー)。創価学会青年学術者会議メンバー。