新時代第1回本部幹部会・東京総会・東京青年部総会
◆◆ 一人の声が時代を変える
《名誉会長の若き日の誓い》
――「偉大な師匠の歴史を世界に示さん!」
◆最悪の苦境の中で宣言
一、自分のことで恐縮であるが、『若き日の日記』から、いくつか紹介させていただきたい。
まず、昭和25年(1950年)11月13日。22歳の時である。
当時、戸田先生の事業は最悪の苦境にあった。
この前日、創価学会の第5回総会で、理事長を辞任された。
その時、私は書いた。
「誰人(だれびと)が、学会の組織上の中心者になっても、師は、戸田先生しか、私にはない」
苦しい中で、こう宣言して戦った。
また、同年11月29日の日記から。
「半日、先生と共に語る。私が、師の遺業を、継ぎ、実現せねばならぬことを、沁々(しみじみ)と指南して下さる」
「先生に、学会に、指一本指させぬ覚悟で戦う決意、更に燃え上がる」
一番正しい人が中傷されている。その時に正義の声をあげずして、何の青年か。
一番戦い抜いてきた人間が迫害されている。なのに、だれも動かない。これほどずるい、情けないことはない。
私は正義を叫び抜いた。これからは、「新しい人」に頼むしかない。
諸君、頼むよ!〈青年部の参加者から「ハイ!」と返事が〉
◆百年の功も一言で破れる
一、さらに、昭和32年11月18日の日記には、次のように綴(つづ)った。
「先生の力で、われらはこれまで育つ。
先生の力で、妙法の境涯を開く。
先生の力で、われらの力は発揮できた。
先生の師恩は、山よりも高し。海よりも深し。
忘れじ、われは。
偉大なる師の歴史を世界に示さん。
誓う、堅く」
この誓いの通り、私はやってきた(大拍手)。
学会の幹部の中でも、特に会長職は、捨て身で、皆のために犠牲(ぎせい)になるためにある。その覚悟で私は生きてきた。
戸田先生は幹部に対して厳しく言われた。
「臆病(おくびょう)で、足手まといになるような存在ではいけない。お世辞を使ってもらえば、何とか活動する ── それでは、死身弘法ではない。
広宣流布を進める創価学会を、何よりも大事にし、守りきっていく。これが地涌の菩薩である。そうでない幹部は、学会から出ていってもらいたい」
臆病者は、出て行け! ── これが戸田先生の叫びであった。
御書を拝したい。
「千年間もたった苅茅(かるかや)も一時に灰となってしまい、百年の功も一言でやぶれるということは、物事の道理である」(1091ページ、通解)
いざという時に、退転してはならない。
また、「正法誹謗の者に親しみ近づくならば、仏法を修行して得たところの善根は、ことごとく滅して、誹謗の者とともに地獄に堕ちるであろう」(同1374ページ、通解)との御聖訓もある。
たとえ、かたちは信心していても、正法誹謗をする人間はいる。
謗法を犯せば、せっかくの善根も消えてしまうのである。
《シェークスピア》
手をゆるめてはならない
完全な勝利を見るまでは
◆人生は戦いだ
一、イギリスの大詩人で劇作家のシェークスピアの言葉を紹介したい。戯曲の中の一節である。
「手をゆるめてはなるまいぞ、完全な勝利を見るまでは」(小田島雄志訳「ヘンリー四世」、『シェイクスピア全集V』所収、白水社)
来年へ、そして創立80周年へ向けて、一丸となって戦おう!〈会場から「ハイ!」と力強い返事が〉
次に、シーザー(カエサル)の言葉。ご存じの通り、古代ローマの英雄である。
人生は戦いだ。
広宣流布も戦いだ。
シーザーは、こう綴った。
「ただ迅速果敢(じんそくかかん)な行動のみがすべてを決定する」(國原吉之助訳『ガリア戦記』講談社学術文庫)
迅速果敢な行動。そこに勝利がある。
このことは、戸田先生もよくおっしゃった。
パーッと、勢いよく前進する ── 学会は、これで勝ってきたのである。
有名な評論家も、その点に目を見張っていた。
イタリアの詩人
真の名誉には
誹謗や妬みが
言い寄ってくる
◆卑怯者になるな
一、19世紀イタリアの大詩人レオパルディをご存じだろうか。〈イタリアの友が立ち上がり、「学校で学びました」と〉
ありがとう!(大拍手)
レオパルディは「真の名誉に誹謗や、憎悪や、妬(ねた)みが言い寄り」(脇功訳「カンティ」、『カンティ』所収、名古屋大学出版会)と記している。
日蓮大聖人が、そうであられた。
まったく次元が違うが、私も、ありとあらゆる難を受けた。正しいこと、善の行為をしながら、誹謗・中傷されたのである。
誹謗、憎悪、妬み。これらを受けた人が、本当の名誉の人なのである。御書の仰せと同じである。
悪と戦わないのは、臆病であり、ずるく、卑怯である。
そうした人間ばかりになってしまえば、学会は、魔性(ましょう)に食い破られてしまう。
断じて、そうさせたくはない。
◆真心を声に!
一、古代インドの大詩人・ティルヴァッルヴァルは「繁栄も衰退も言葉より生ずる」(高橋孝信訳注『ティルックラル』平凡社東洋文庫)と綴った。
大事なのは、言葉である。それを語る声である。一人の声が時代を変えていくのだ。
そして、「意(こころ)が声とあらはる」(御書469ページ)と仰せのごとく、真心を声に響かせていくのである。
一、御聖訓には仰せである。
「提婆達多(だいばだった)は、自分のことを人が貴(とうと)ばなかったので、どのようにしたら世間の名誉が仏に過ぎることができるかと考え抜いた」(同1041ページ、通解)
嫉妬に狂う提婆達多のような人間には、決して、なってはならない。
プラトンが書き残した対話篇『国家』。その中で、師ソクラテスがこう語っている。
「最も邪悪であることが明らかな人間は、明らかにまた最もみじめな人間ではないだろうか?」(藤沢令夫訳『国家(下)』岩波文庫)
また、「とにかく〈正義〉の味方となって、ぼくにできるだけのことをするのが最善の途だということになる」(同『国家(上)』)と。
皆さんが、日々実践されていることである。
プラトンは、こうも綴っている。
「もし誰かが、何らかの点で悪い人間となっているのなら、その人は懲(こ)らしめを受けるべきである」(加来彰俊訳『ゴルギアス』岩波文庫)
悪いことは、厳しく指摘するのだ。
◆三代の魂を貫け
一、日本には、中国から多くの思想や文化が伝わってきた。
その中国では、「三」を「万物を生み出す原点」ととらえる考え方がある。
〈12世紀の中国の思想家・程大昌(ていだいしょう)は、「『一』をもって『始まり』となし、『二』をもって『継承』となし、『三』をもって『完成』となす。そして万物が、よどみなく生み出されていくのだ」と論じている〉
創価学会も、初代が創立し、2代が受け継いで発展させ、第3代が完成させた(大拍手)。
このことは、一流の学者の方々も、指摘してくださっている。
殉教の師・牧口先生のお名前は「常三郎(つねさぶろう)」。
常に三代とともに! 三代が盤石(ばんじゃく)であれば、学会は永遠である ── こういう意義にも通じると、戸田先生が語ってくださったことがある。
「三代の師弟」を原点とする限り、創価学会は、万代にわたって発展していく。勝利、勝利を続けていくことができる。
こう申し上げ、記念のスピーチとしたい。長時間、ありがとう!(大拍手)
とくに海外の方々、本当にありがとうございます。
ご苦労さまです。
また、お会いしよう! (大拍手)
(2006・11・10)於・東京牧口記念会館
《名誉会長の若き日の誓い》
――「偉大な師匠の歴史を世界に示さん!」
◆最悪の苦境の中で宣言
一、自分のことで恐縮であるが、『若き日の日記』から、いくつか紹介させていただきたい。
まず、昭和25年(1950年)11月13日。22歳の時である。
当時、戸田先生の事業は最悪の苦境にあった。
この前日、創価学会の第5回総会で、理事長を辞任された。
その時、私は書いた。
「誰人(だれびと)が、学会の組織上の中心者になっても、師は、戸田先生しか、私にはない」
苦しい中で、こう宣言して戦った。
また、同年11月29日の日記から。
「半日、先生と共に語る。私が、師の遺業を、継ぎ、実現せねばならぬことを、沁々(しみじみ)と指南して下さる」
「先生に、学会に、指一本指させぬ覚悟で戦う決意、更に燃え上がる」
一番正しい人が中傷されている。その時に正義の声をあげずして、何の青年か。
一番戦い抜いてきた人間が迫害されている。なのに、だれも動かない。これほどずるい、情けないことはない。
私は正義を叫び抜いた。これからは、「新しい人」に頼むしかない。
諸君、頼むよ!〈青年部の参加者から「ハイ!」と返事が〉
◆百年の功も一言で破れる
一、さらに、昭和32年11月18日の日記には、次のように綴(つづ)った。
「先生の力で、われらはこれまで育つ。
先生の力で、妙法の境涯を開く。
先生の力で、われらの力は発揮できた。
先生の師恩は、山よりも高し。海よりも深し。
忘れじ、われは。
偉大なる師の歴史を世界に示さん。
誓う、堅く」
この誓いの通り、私はやってきた(大拍手)。
学会の幹部の中でも、特に会長職は、捨て身で、皆のために犠牲(ぎせい)になるためにある。その覚悟で私は生きてきた。
戸田先生は幹部に対して厳しく言われた。
「臆病(おくびょう)で、足手まといになるような存在ではいけない。お世辞を使ってもらえば、何とか活動する ── それでは、死身弘法ではない。
広宣流布を進める創価学会を、何よりも大事にし、守りきっていく。これが地涌の菩薩である。そうでない幹部は、学会から出ていってもらいたい」
臆病者は、出て行け! ── これが戸田先生の叫びであった。
御書を拝したい。
「千年間もたった苅茅(かるかや)も一時に灰となってしまい、百年の功も一言でやぶれるということは、物事の道理である」(1091ページ、通解)
いざという時に、退転してはならない。
また、「正法誹謗の者に親しみ近づくならば、仏法を修行して得たところの善根は、ことごとく滅して、誹謗の者とともに地獄に堕ちるであろう」(同1374ページ、通解)との御聖訓もある。
たとえ、かたちは信心していても、正法誹謗をする人間はいる。
謗法を犯せば、せっかくの善根も消えてしまうのである。
《シェークスピア》
手をゆるめてはならない
完全な勝利を見るまでは
◆人生は戦いだ
一、イギリスの大詩人で劇作家のシェークスピアの言葉を紹介したい。戯曲の中の一節である。
「手をゆるめてはなるまいぞ、完全な勝利を見るまでは」(小田島雄志訳「ヘンリー四世」、『シェイクスピア全集V』所収、白水社)
来年へ、そして創立80周年へ向けて、一丸となって戦おう!〈会場から「ハイ!」と力強い返事が〉
次に、シーザー(カエサル)の言葉。ご存じの通り、古代ローマの英雄である。
人生は戦いだ。
広宣流布も戦いだ。
シーザーは、こう綴った。
「ただ迅速果敢(じんそくかかん)な行動のみがすべてを決定する」(國原吉之助訳『ガリア戦記』講談社学術文庫)
迅速果敢な行動。そこに勝利がある。
このことは、戸田先生もよくおっしゃった。
パーッと、勢いよく前進する ── 学会は、これで勝ってきたのである。
有名な評論家も、その点に目を見張っていた。
イタリアの詩人
真の名誉には
誹謗や妬みが
言い寄ってくる
◆卑怯者になるな
一、19世紀イタリアの大詩人レオパルディをご存じだろうか。〈イタリアの友が立ち上がり、「学校で学びました」と〉
ありがとう!(大拍手)
レオパルディは「真の名誉に誹謗や、憎悪や、妬(ねた)みが言い寄り」(脇功訳「カンティ」、『カンティ』所収、名古屋大学出版会)と記している。
日蓮大聖人が、そうであられた。
まったく次元が違うが、私も、ありとあらゆる難を受けた。正しいこと、善の行為をしながら、誹謗・中傷されたのである。
誹謗、憎悪、妬み。これらを受けた人が、本当の名誉の人なのである。御書の仰せと同じである。
悪と戦わないのは、臆病であり、ずるく、卑怯である。
そうした人間ばかりになってしまえば、学会は、魔性(ましょう)に食い破られてしまう。
断じて、そうさせたくはない。
◆真心を声に!
一、古代インドの大詩人・ティルヴァッルヴァルは「繁栄も衰退も言葉より生ずる」(高橋孝信訳注『ティルックラル』平凡社東洋文庫)と綴った。
大事なのは、言葉である。それを語る声である。一人の声が時代を変えていくのだ。
そして、「意(こころ)が声とあらはる」(御書469ページ)と仰せのごとく、真心を声に響かせていくのである。
一、御聖訓には仰せである。
「提婆達多(だいばだった)は、自分のことを人が貴(とうと)ばなかったので、どのようにしたら世間の名誉が仏に過ぎることができるかと考え抜いた」(同1041ページ、通解)
嫉妬に狂う提婆達多のような人間には、決して、なってはならない。
プラトンが書き残した対話篇『国家』。その中で、師ソクラテスがこう語っている。
「最も邪悪であることが明らかな人間は、明らかにまた最もみじめな人間ではないだろうか?」(藤沢令夫訳『国家(下)』岩波文庫)
また、「とにかく〈正義〉の味方となって、ぼくにできるだけのことをするのが最善の途だということになる」(同『国家(上)』)と。
皆さんが、日々実践されていることである。
プラトンは、こうも綴っている。
「もし誰かが、何らかの点で悪い人間となっているのなら、その人は懲(こ)らしめを受けるべきである」(加来彰俊訳『ゴルギアス』岩波文庫)
悪いことは、厳しく指摘するのだ。
◆三代の魂を貫け
一、日本には、中国から多くの思想や文化が伝わってきた。
その中国では、「三」を「万物を生み出す原点」ととらえる考え方がある。
〈12世紀の中国の思想家・程大昌(ていだいしょう)は、「『一』をもって『始まり』となし、『二』をもって『継承』となし、『三』をもって『完成』となす。そして万物が、よどみなく生み出されていくのだ」と論じている〉
創価学会も、初代が創立し、2代が受け継いで発展させ、第3代が完成させた(大拍手)。
このことは、一流の学者の方々も、指摘してくださっている。
殉教の師・牧口先生のお名前は「常三郎(つねさぶろう)」。
常に三代とともに! 三代が盤石(ばんじゃく)であれば、学会は永遠である ── こういう意義にも通じると、戸田先生が語ってくださったことがある。
「三代の師弟」を原点とする限り、創価学会は、万代にわたって発展していく。勝利、勝利を続けていくことができる。
こう申し上げ、記念のスピーチとしたい。長時間、ありがとう!(大拍手)
とくに海外の方々、本当にありがとうございます。
ご苦労さまです。
また、お会いしよう! (大拍手)
(2006・11・10)於・東京牧口記念会館