小説「新・人間革命」 3月1日 陽光49

プレ・ハワイ・コンベンションが始まった。

 真っ白いドレスに身を包んだ婦人部の優雅な踊りもあった。フラダンスもあれば、松明を手にしての、勇壮な民族舞踊もあった。

 山本伸一は、一つの演技が終わるつど、立ち上がって拍手を送り、励ましの言葉をかけた。

 ハワイの民族舞踊を踊っている男子部のメンバーに、日本で何度か会った、一人の青年がいることに気づいた。

 中島健治である。

 演技が終わったあと、伸一は彼と会った。

 中島は、日本で学習院大学を卒業し、世界広布の使命に燃えて、ホノルルの語学学校に留学していたのである。

 彼は、かつて総本山で役員の任務についていた時、伸一に声をかけられたことがあった。

 その時、中島は、幼少期に父親が家を出て行き、母親が小さな書店を営みながら、女手一つで兄と自分を育ててくれたことなどを語った。

 すると、伸一は言った。

 「そのお母さんの心を受け継ぎ、広宣流布に一人立つことだよ」

 この励ましが彼の飛躍の原点となった。そして、以前から思い描いていた世界広布に、生きようと決意を固めた。

 一九七三年(昭和四十八年)の十月、中島はハワイに渡る報告をした。

 伸一は、自著の『青年の譜』に「弟子巣立ちゆく新世紀」と揮毫して贈ったのである。

 以来、半年ぶりの再会であった。

 「元気だったかい」

 伸一は尋ねた。

 中島は、雨漏りがしてネズミも出る古いアパートに、二人の友人と住んでいた。仕送りもなく、満足に食べることもできず、苦しい日々を送っていた。

 中島は、伸一に心配をかけまいと、生命力を振り絞るようにして、元気に「はい!」と答えた。

 だが、少しやつれた中島の姿から、伸一は、彼の苦闘を感じ取った。

 伸一は言った。

 「世界広布のために生きようという正義の弟子が育ってくれて、私は嬉しい。

 今は、どんなに辛く、苦しくとも、頑張り抜くんだ。絶対に負けてはいけないよ。

 春になれば、一斉に花が咲くように、今の苦労が花開く勝利の時が、きっとくるよ」