小説「新・人間革命」 宝塔2 3月6日

 山本伸一は、さらに、「御本尊七箇相承」の「法界の五大は一身の五大なり、一箇の五大は法界の五大なり」、また、「法界即日蓮日蓮即法界なり……」の文を引き、こう語った。

 「つまり、宇宙を構成している要素である地・水・火・風・空という、同じ五大種によって、人間も構成されている。

 大聖人は、『宇宙法界の全要素』と『日蓮という一個の生命体の全要素』とは、全く同じものであると断言されているのであります。

 これは、大聖人御自身だけでなく、一切衆生にも共通することであります。

 わが身は即大宇宙であり、妙法の当体である。それゆえに、生命を『本尊』として、大切にするのであります。私どもは、この御指南に、『生命の尊厳』の原点を見いだすものであります」

 伸一は、日蓮仏法の本尊とは、決して神秘や幻想の象徴ではなく、人間自身の生命であることを明らかにしたのである。

 日蓮大聖人は、「此の御本尊全く余所に求る事なかれ・只我れ等衆生法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますなり」(御書一二四四ページ)と仰せになっている。

 また、法華経に説かれた宝塔について、「宝塔即一切衆生・一切衆生即南無妙法蓮華経の全体なり」(同七九七ページ)とも言われている。

 仏は、遠い彼方の世界にいるのではない。また、人間は神の僕ではない。

 わが生命が本来、尊極無上の仏であり、南無妙法蓮華経の当体なのである。

 ゆえに、自身の生命こそ、根本尊敬、すなわち本尊となるのである。

 そして、その自身の南無妙法蓮華経の生命を映し出し、涌現させるための「明鏡」こそが、大聖人が曼荼羅として顕された御本尊なのである。

  「宇宙の法則は本来人間の中にも宿っているのだ。このことを悟る時、はじめて人間は自分の力を信ずることができる」(注)

 これはインドの大詩人タゴールの卓見である。

 人間の生命を根本尊敬する日蓮仏法こそ、まさに人間尊重の宗教の究極といってよい。

 そして、ここにこそ、新しきヒューマニズムの源泉があるのだ。



引用文献: 注 「人類の一体性と教育」(『タゴール著作集9』所収)馬場俊彦訳、第三文明社