小説「新・人間革命」 宝塔5 3月9日

 帰国した山本伸一が、師子奮迅ともいうべき勢いでフル回転していたころ、間近に迫った締め切りに追われながら、原稿の校正作業に没頭する青年たちがいた。

 沖縄、広島、長崎の青年部反戦出版委員会のメンバーである。

 青年部が反戦平和運動の一環として取材を重ねてきた戦争体験の証言集が、いよいよ本になろうとしていたのである。

 青年部が、この反戦出版に取り組む契機となったのは、一九七二年(昭和四十七年)十一月に開催された、第三十五回本部総会での山本会長の講演であった。

 伸一は、そのなかで、青年たちに、こう訴えたのである。

 「世界のあらゆる国の民衆が、生きる権利をもっている。それは、人間として、誰にも侵されてはならない権利である。

 その生存の権利に目覚めた民衆の運動が、今ほど必要な時はないのであります。

 私は、その運動を青年部に期待したい」

 人間が「仏性」をもつという生命尊厳の法理は、万人が「生存の権利」を有することを裏付ける原理である。

 そして、ここに、仏法者の生き方、行動の起点がある。

 ゆえに第二代会長の戸田城聖は、「われわれ世界の民衆は、生存の権利をもっております。その権利をおびやかすものは、これ魔ものであり、サタンであり、怪物であります」と断じて、「原水爆禁止宣言」を発表したのである。

 伸一は、戸田の弟子として、仏法者として、この思想を世界に弘めようと、東奔西走を重ねてきた。そして、人類の生存の権利を守ろうとの思いから、さまざまな識者との対話も推進してきた。

 さらに、平和のための提言も行ってきた。

 この生存の権利を守る戦いを、彼は青年たちに委ね、未来に流れる、人間復権運動の大河を開こうとしていたのである。

 青年たちは燃えた。

 “核の脅威は人類の前途を覆い、戦争の惨禍は絶えない。また、公害の蔓延や人命軽視の風潮など、まさに現代は生存の権利が危機にさらされている”というのが、皆の実感であった。

 それだけに、使命の重さを感じた。