小説「新・人間革命」 友誼の道21 5月25日

 廖承志は、やがて父母と共に中国に移る。
 彼が十六歳の夏のことである。広州で父親が暗殺された。母親の眼前で、政敵によって殺されたのだ。
 気丈な母は、自宅の門に毅然と横幕を掲げた。
 「精神不死」(肉体は殺せても、精神を殺すことはできない!)
 それは、あまりにも誇り高い、母の闘争宣言であった。
 婦人の強き一念こそ、目的を成就する難攻不落の要塞となる。
 廖承志は、この父母の革命精神を受け継いだ。
 彼は、弾圧を受け、七回も逮捕されている。
 長征の途中、スパイの容疑をかけられ、手枷をつけられたまま行軍させられた時もあった。
 また、文化大革命では彼にも理不尽な攻撃の矛先が向けられ、一九六七年(昭和四十二年)から四 年 間、軟禁された。
 この間、週に一度、夫人と会う以外は、誰とも会うことは許されなかった。心臓に持病があったが、診察も受けさせてもらえなかった。
 そのなかで彼を守ってくれたのが、周恩来総理であった。
 廖承志は記している。
 「私の最大の経験は、信念が堅ければ堅いほど敵には打つ手がないということである」(注)
 試練のなかで鍛え抜かれた金剛の確信である。
 民衆の幸福のため、死闘を覚悟で生涯を捧げる山本伸一と廖承志の対話は弾んだ。信念と信念の美しき友誼の共鳴音が流れた。
 この懇談の席上、伸一は、教育と文化の交流のために、北京大学への五千冊の図書贈呈、中国の青年・学生の日本への招待を申し出た。
    
 その後、会場を北京飯店に移して、中日友好協会の主催で歓迎宴が行われた。
 廖承志会長夫妻をはじめ、張香山副会長、趙樸初副会長、孫平化秘書長、金蘇城理事、林麗■<韋に褞のつくり>理事らのほか、日中文化交流協会西園寺公一夫妻、その子息で北京大学に学んだ新聞記者の西園寺一晃も出席した。
 あいさつに立った廖会長は、まず、創価学会代表団への、熱烈な歓迎の意を表明した。
 そして、中日人民の友好は、「いかなる力も阻むことのできない歴史の潮流である」と宣言するように語った。



引用文献
 注 「獄中闘争のいささかの経験から」(『廖承志文集』所収)安藤彦太郎監訳、徳間書店