小説「新・人間革命」 友誼の道26  5月31日

 山本伸一は、戦争の根本原因として、人間自身の生命に目を向ける必要があることを主張した。

 人間生命の内奥に潜むエゴ、傲慢、権力の魔性、さらに、そこから生ずる相互不信や互いの脅威にこそ、戦争のより本質的な要因があると訴えていったのである。

 また、中国側は、日本に軍国主義が復活することを強く警戒していた。

 伸一たちは、ファシズムの台頭をもたらす温床として、民衆の精神的な空虚感と無気力があることを指摘した。

 民衆を賢明にし、民衆を強くする。それが、創価学会の運動である。また、そこに、本当の民主の実現がある。

 伸一が、最も憂慮し、中国の意見を聞きたかった問題は、中ソ対立であった。中ソ国境では、一触即発の緊張がみなぎっていたのである。

 中国とソ連は、共にマルクス・レーニン主義を掲げ、社会主義の国家を築き上げてきた。

 資本主義陣営と社会主義陣営の対立構造が、二つの国を、より強固な絆で結びつけ、国際社会の諸問題にも、同盟して取り組んできた。

 しかし、一九五六年(昭和三十一年)を境に、中ソは、やがて対立していくことになる。

 この年二月、ソ連共産党の第二十回大会で、フルシチョフ第一書記が、資本主義との平和的共存という新路線を発表したのだ。

 さらに、三年前に他界した書記長のスターリンを批判し、その独裁や粛清を弾劾したのである。

 ソ連のみならず、世界の共産党の指導者として君臨し、権力を振るってきたスターリンが否定されるとともに、社会主義としての路線の転換が図られたのだ。このフルシチョフ発言に、社会主義諸国は揺れた。

 当時、“アメリカ帝国主義との対決”などを打ち出していた中国は、フルシチョフの急激な路線変更に不信感を強め、異を唱えた。中ソ間に亀裂が走った。

 一九六〇年(同三十五年)四月には、中国は理論誌『紅旗』でソ連の路線を批判。ソ連側も反論を展開した。

 中国はフルシチョフソ連指導部を「修正主義」と言い、ソ連毛沢東ら中国指導部を「教条主義」と応酬。両国の論争は激しさを増していったのである。