小説「新・人間革命」 友誼の道42 6月20日

六月六日の朝、山本伸一たちは、天安門広場の南の繁華街である大柵欄街を訪れた。

 地下防空壕を視察するためである。案内されたのはデパートであった。一階の床を持ち上げると階段があり、下りると地下壕になっていた。

 そこは防空壕というより、地下街を思わせた。明るく清潔な空間が広がり、中には、食堂や会議室、電話室、指揮室、放送室などもある。

 地下道によって、全市の街区が結ばれているとのことであった。

 大柵欄街には、デパートや映画館などが立ち並び、普段は八万人、祝祭日には、二十万人の人で賑わうという。

 その人たちが、いざという時には、五、六分で地下壕に避難できるというのである。

 案内者は語った。

 「他国からミサイルが飛んでくるのを七分と想定して、十分に間に合う時間です」

 また、付近の居住区の防空壕にも案内された。

 防空壕を掘る作業にあたったのは、主に婦人と年配者であり、平均年齢は五十歳を超えていたという。

 伸一は感想を述べた。

 「昨日は万里の長城へまいりましたが、これは地下の長城ですね」

 案内者は頷いた。

 「そうです。敵の攻撃を防ぐためのものです。私たちがこうして防空壕を掘ったのは、守りに徹するためであり、自ら他国を侵略することは絶対にありません。

 この地下壕はモスクワまでは掘りませんから」

 案内の人は、こう言って微笑むと、毅然とした口調で言葉をついだ。

 「私たちは、第一には戦争には反対です。しかし、第二には戦争を恐れません」

 伸一は言った。

 「わかりました。皆さんの団結の姿、平和を熱望する姿、勇敢な姿は、生涯、私の脳裏から離れないでしょう」

 伸一は、ソ連の攻撃に危機感をいだき、恐怖に苛まれながら、自らを鼓舞して生きる、中国の人たちの心中を考えると、胸が張り裂けそうな思いがした。

 「私は、皆さんの真実を、世界中で訴え抜いてまいります」

 伸一は、深い決意をこめて、こう語った。

 “中ソの不信の溝を、絶対に埋めねばならぬ”

 彼は心に誓った。