小説「新・人間革命」  友誼の道49  6月28日

李先念副総理との語らいでは、核問題にも話題が及んだ。

 副総理は、「中国は、いついかなる状況のもとでも、核兵器を最初に使用することはない」との立場を明言した。

 そして、覇権主義の道は歩まないことを、強く訴えるのであった。

 対話は二時間十五分にも及んだ。初対面ながら心と心が通い合う友誼の語らいとなった。

 山本伸一は、会見を通して、中国は、強く平和を求めていることを確信したのである。

 この深夜の会見を終えたあと、伸一は日本人記者たちの取材に応じ、李副総理との会談の内容について語った。

 翌七日の朝日新聞夕刊の一面には、「社会主義化が進んでも 日欧と平和共存 李中国副首相語る」との見出しが躍り、会談の模様が大々的に報じられている。

 伸一が宿舎の部屋に着いた時には、午前零時近かった。

 明日七日は、次の訪問地である西安(シーアン)に向かう日である。出発は午前七時であった。

 伸一は、峯子と荷物をまとめながら言った。

 「今日は牧口先生のお誕生日だった。牧口先生は、中国からの留学生をこよなく敬愛し、大切にされている」

 牧口常三郎は三十代半ば、中国からの留学生のために設けられた学校である弘文学院で教鞭を執り、地理学を教えている。その同じ時期、魯迅もここで学んでいる。

 牧口の『人生地理学』に共感した中国の青年たちは、この書を翻訳し、発刊していったのである。

 「牧口先生のお誕生日に、李先念副総理とお会いして、日中友好の道を開く有意義な語らいができた。

 また、戸田先生は、東洋の民衆を救わねばならないと叫ばれ続けた。さらに、『十八史略』など、中国の歴史や文学に精通され、本当に中国を愛しておられた。

 牧口先生も、戸田先生も、この会見を心から喜んでくださっているよ」

 峯子は、微笑を浮かべて頷いた。

 「お二人の先生がお喜びになっている姿が、目に浮かびますね」

 伸一も、峯子も疲れてはいた。しかし、師匠を思うと心は燃えた。元気が出た。真の弟子にとっては、師こそが勇気と活力の源泉なのである。