小説「新・人間革命」 友誼の道50  6月29日

 六月七日、山本伸一の一行は、午前八時過ぎには北京の空港を飛び立ち、西安に向かった。

 一時間半ほどの空の旅である。

 案内役として、中日友好協会の孫平化秘書長らが同行してくれた。

 西安は、陝西(シャンシー)省の省都である。かつては「長安」と呼ばれ、長く中国の国都として栄えてきた。

 東西文明の交流に大きな役割を果たし、日本とも遣唐使など、古くから交流があった地である。

 また、近代においても「西安事件」が起こり、歴史回天の舞台となっている。

 ――一九三六年(昭和十一年)十二月、国民党の張学良が率いる東北軍と楊虎城の西北軍は、共産党を討つため、西安に駐屯していた。

 しかし、彼らは、共産党の「今は国を挙げて団結し、侵略してくる日本軍と戦うべきではないか」との主張に、心を動かされる。

 彼らは、南京から督励に来た国民党の蒋介石を監禁。共産党との戦いを停止し、共に協力して抗日の戦いを起こすよう要求した。

 ――これが「西安事件」である。

 そして、共産党周恩来が交渉にあたり、蒋介石は要求を受け入れることになるのである。

 一九三七年(同十二年)七月、盧溝橋事件が起こり、日中戦争へと突入していった。

 中国では、この「西安事件」を契機に、第二次国共合作(国民党と共産党との協力体制)が実現し、抗日民族統一戦線が結成されるのである。

 西安に到着した伸一たちの一行は紡績工場を視察した。

 この工場にも、喜々として働く、多くの女性労働者の姿があった。

 工場には、幼稚園もあり、家庭をもつ女性たちが、心置きなく働けるように、さまざまな工夫がなされていた。

 女性を大切にしてこそ女性の活躍があり、そこに新しき発展がある。

 伸一は、はつらつとした女性たちの姿から、中国の輝かしい未来を、見る思いがした。

 「女性の参加なしで、真の意味の精神的社会革新が達成されたことは一度もなかったのだ」(注)とは、スウェーデンの思想家エレン・ケイの卓見である。



引用文献:  注 エレン・ケイ著『恋愛と結婚』小野寺信・小野寺百合子訳、新評論