小説「新・人間革命」 懸け橋1  7月30日

さあ、心軽やかに、新しい歩みを踏みだそう。

 人生は、限りある生命の時間との闘争だ。なれば、間断なき前進の日々であらねばならない。

 ロシアの大詩人プーシキンはうたった。 

 「汝は王者なれば ただ一人征け

 自由の大道を自在なる英知もて進め

 その尊き偉業の報いを欲せず

 自らが愛する思想の実をば結びゆけ」(注)

 それはまた、山本伸一の決意でもあった。彼は人類の平和のために、わが生涯を捧げようと、深く心に誓っていた。

 一九七四年(昭和四十九年)九月八日、彼は、モスクワ大学の招待を受け、ソ連ソビエト社会主義共和国連邦の略称=当時)に向かっていた。ソ連は初訪問である。

 羽田の東京国際空港を発ったのは、この日の午前十一時過ぎであった。

 滞在は十日間で、訪問する主な都市は、首都モスクワと、レニングラード(現在のサンクトペテルブルク)である。

 そして、モスクワ大学をはじめ、ソ連対外友好文化交流団体連合会、文化省、教育省、レニングラード大学(現在のサンクトペテルブルク大学)などを公式訪問することになっていた。

 同行メンバーは、妻の峯子、創価大学の学長、教授、青年部・婦人部の代表、そして、聖教新聞の記者やカメラマンら十人である。

 この訪ソの目的は、教育・文化交流を通して、友好を促進し、平和のための相互理解を深めることにあった。

 国家と国家の関係といっても、最終的には人間と人間の関係に帰着する。真の友好を築くためには、友情と信頼の絆で人間と人間が結ばれていくことが不可欠である。

 ゆえに伸一は、国家というよりも、むしろ、民間次元で交流を深めることが必要であると考えていたのである。

 また、彼は、この訪問で、中国は決して戦争は望んではいないことをソ連の首脳に伝え、中ソの戦争を回避する道を、断じて開かなければならないと、固く心に決めていたのである。

 さらに、米ソ対立、そして東西冷戦という、分断され、敵対し合う世界を、融合へ、平和へと向かわせる、第一歩にしようと、深く決意していたのである。



引用文献: 注 『プーシキン著作集』国立芸術文学出版(ロシア語版)