小説「新・人間革命」 懸け橋21 8月23日
山本伸一は、言葉をついだ。
「これは以前、ソ連科学アカデミーの方に提案したことですが、ソ連は自由を重んじていることを証明するためにも、モスクワに仏教寺院を建設してはどうでしょうか」
ポポワ議長は、少し戸惑ったようだ。当然、彼女の一存で決まるような問題ではない。
伸一は、自由を保障する姿勢の大切さを訴えたかったのである。
彼女は答えた。
「おっしゃることは、よくわかります。検討させていただきます。
ちょうど、この前にある古い建物を建て替えますので、その真ん中に仏教寺院を造ってしまいましょうか」
そう言って議長は、ニッコリと笑った。
語らいが終わるころには、伸一たちと議長の心は、すっかりとけ合っていた。
議長は、帰り際には、峯子らに、こう言うのである。
「今度、モスクワに来られる時には、私の家と子ども、そして孫を、ぜひ見に来てください」
そこには、慈愛にあふれた「母の顔」があり、「人間の顔」があった。
伸一は、ソ連に、この顔を見たくてやってきたのである。
“人間ならば、幸福を求め、平和を求める心は同じである。
その人間という原点に立つならば、社会体制は異なっても、究極的にめざすところは一致するはずである。また、人間同士がわかり合えぬわけがない。だから対話を重ねることだ!”
伸一は、その確信を、一段と深めながら、対文連の本部を後にした。
続いて一行が訪れたのは、ゴーリキー通り(当時)にある、モスクワ市庁舎であった。
外壁と柱のコントラストが美しい、伝統を感じさせる建物である。
革命が成就し、首都を帝政ロシアのペテルブルクからモスクワに移したレーニンは、この建物から、人民に新たな建設を呼びかけたという。
市庁舎の踊り場には、レーニンがこの建物の二階のバルコニーから、雪の降るなかで講演する絵画が掲げられていた。
市庁舎では、V・P・イサエフ第一副市長らと会談した。その席で、伸一に「モスクワ市の鍵」が贈られたのである。
「これは以前、ソ連科学アカデミーの方に提案したことですが、ソ連は自由を重んじていることを証明するためにも、モスクワに仏教寺院を建設してはどうでしょうか」
ポポワ議長は、少し戸惑ったようだ。当然、彼女の一存で決まるような問題ではない。
伸一は、自由を保障する姿勢の大切さを訴えたかったのである。
彼女は答えた。
「おっしゃることは、よくわかります。検討させていただきます。
ちょうど、この前にある古い建物を建て替えますので、その真ん中に仏教寺院を造ってしまいましょうか」
そう言って議長は、ニッコリと笑った。
語らいが終わるころには、伸一たちと議長の心は、すっかりとけ合っていた。
議長は、帰り際には、峯子らに、こう言うのである。
「今度、モスクワに来られる時には、私の家と子ども、そして孫を、ぜひ見に来てください」
そこには、慈愛にあふれた「母の顔」があり、「人間の顔」があった。
伸一は、ソ連に、この顔を見たくてやってきたのである。
“人間ならば、幸福を求め、平和を求める心は同じである。
その人間という原点に立つならば、社会体制は異なっても、究極的にめざすところは一致するはずである。また、人間同士がわかり合えぬわけがない。だから対話を重ねることだ!”
伸一は、その確信を、一段と深めながら、対文連の本部を後にした。
続いて一行が訪れたのは、ゴーリキー通り(当時)にある、モスクワ市庁舎であった。
外壁と柱のコントラストが美しい、伝統を感じさせる建物である。
革命が成就し、首都を帝政ロシアのペテルブルクからモスクワに移したレーニンは、この建物から、人民に新たな建設を呼びかけたという。
市庁舎の踊り場には、レーニンがこの建物の二階のバルコニーから、雪の降るなかで講演する絵画が掲げられていた。
市庁舎では、V・P・イサエフ第一副市長らと会談した。その席で、伸一に「モスクワ市の鍵」が贈られたのである。