小説「新・人間革命」 懸け橋27  8月30日

ルベン民族会議議長との会見のあと、山本伸一たちは、クレムリンレーニンが使っていた執務室と私室を見学させてもらった。

 レーニンは、ボリシェビキ(後のソ連共産党)を創設して、ロシア十月革命を指導。世界初の社会主義国ソ連を誕生させた。

 そして、ロシア革命に成功した翌年の一九一八年(大正七年)三月から四年九カ月にわたって、この執務室で建国の指揮を執った。

 レーニンの使っていた部屋は、いずれも質素であった。

 執務室の机は、彼が愛用していた文具が置かれ、壁には、大きな地図などが掲げられていた。

 一家が使用していた食堂は狭く、流し台と食器棚の間に四人がけの粗末な机が置かれていた。食堂というよりは、台所といった感じである。

 食器棚は、不要になった本棚を手作りで改造したように見えた。皿も茶碗も、大きさや柄も不揃いで、贅沢なものは、一つもなかった。

 一家が使った部屋のうち、最も大きな部屋を彼は妹に与えた。レーニンが使ったのは、狭い鉄製のベッドと机だけの簡素な部屋であった。

 それが、新国家ソ連の最高指導者のクレムリンでの暮らしである。

 伸一は、そこに、人民の苦悩を見すえ、革命に生涯を捧げようとしたレーニン人間性の一端を見た思いがした。

 レーニンが人民の心を引きつけたのは、優れた理論や行動力のゆえだけではない。この質素な生活に見られるように、厳しく自らを律する、皇帝などとは対照的な、冷徹なまでの清廉潔白さによるところも大きかったのではないだろうか。

 思想の退廃は、その生活に表れる。住居には、その人の生き方がある。

 虚栄に流され、浪費に慣れ、華美や豪奢な暮らしを追い求める時、革命思想は退化し、精神の腐敗が始まっている。

 そうなれば、もはや民衆のリーダーとしての資格はない。

 レーニンの部屋を出る時、伸一は、署名簿に記した。



 「永遠に 人民大衆の 胸中深く 生きゆく魂の息吹きを

 忘れ去ることは 私には出来ない      山本伸一