2007年9月12日 聖教新聞 新時代第10回本部幹部会での名誉会長のスピーチ-3

2007年9月12日 聖教新聞
新時代第10回本部幹部会での名誉会長のスピーチ-3

 また、中国の周恩来総理とは、1974年12月5日、北京で会見した。
 当時、周総理は病床に伏しておられた。医者からも、会見を止められていたそうだ。そのなかで、総理は、無理を押して、私と会ってくださった。
 〈周総理の夫人・●(とう)穎超女史は、このときのことを述懐している。「恩来同志は言いました。『池田
会長には、どんなことがあっても会わねばならない』と」〉
 社会の指導者にとって最も大切なことは何か──この点について、周総理は語っておられる。
 それは、「革命的な熱意をもち、覇気にみち、意気ごみに燃えることである」と(中共中央文献編集委
員会編・中共中央ML著作編訳局訳『周恩来選集(1949年~1975年)』外文出版社)。
 その通りである。
 真剣に、そして真面目に働くリーダーにこそ、人々は信頼を寄せる。
 指導者が"人を動かそう""何かを人にやらせよう"というような、人まかせの無責任な態度であれば、人々の心は離れていく。
 まずリーダーが一人立つ。一心不乱に働く。友に尽くし抜く。
 そこにこそ、新時代の指導者像がある。

 戸田先生の慧眼
 一、先ほども申し上げたが、戸田先生は、かねてから、宗門に巣くう悪の本質を鋭く見抜かれていた。
 戦後、学会が宗門とは別個の宗教法人になったのも、戸田先生の英断であられた。〈学会の宗教法人の設立に強く反対したのが日顕であった〉
 ゆえに、いくら日顕宗が、一方的に"学会を切る"などと騒いでも、学会はもとより独立した宗教法人である。何の社会的な影響力もない。
 反対に、邪宗教と化した宗門は、大聖人から破門され、愚かにも衰亡の坂を転げ落ちていったのである(大拍手)。
 戸田先生の打たれた手はすごかった。きちっと学会は守られてきた。
 この仏意仏勅の学会を絶対に甘く見たり、軽く見てはいけない。

 励ましの声を!
 一、学会のリーダーには、見栄や格好はいらない。ありのままの裸の人として、どれだけ動き、どれだけ語り、皆の心に入ったか。戦いの結果を残したか。それが大事である。
 「声仏事を為す」(御書708ページ)である。
 いい声、変な声、ドラ声──声もさまざまである。
 抑揚のない単調な声の人もいれば、まるで悟りを得たかのような澄ました声の人もいる。
 リーダーならば、真剣な祈りを込めた「温かな声」「励ましの声」「正義と真実の声」を友の心に響かせていくのだ。
 ツンとした冷たい感じでなく、頭を低くして、皆にうんとよくしてあげるのだ。
 皆が喜んで、「こんなところにまで」と感嘆するくらい、こまやかに気を配っていくのである。
 人間なのだから、人間の中に入っていくのだ。同じ人間として、皆と平等にスクラム組んで進んでいくのだ。
 一人が尊い。一人を大切に──これが学会精神である。仏法の智慧は、民主主義の根幹を成しているのである。
 一、中国人民の父であった周総理は、本当の政治家の精神を持っておられた。幹部の中に官僚主義がはびこる危険についても鋭く警鐘を鳴らされた。
 「経歴を鼻にかけて、いばりちらす。さかんに飲み食いして、つらい仕事を嫌がり、物見遊山に明け苦れて、実地調査はいい加減にすませる」「これは堕落、変質した官僚主義である」(前掲『周恩来選集』)
 権力者が偉いのか。断じて違う。権力者は民衆に仕える公僕である。
 いわんや、学会のおかげで偉くなったにもかかわらず、地位や名誉に驕り、身は堕落して、一家一族のために、また私利私欲のために学会を利用する──こうした輩が出たならば、絶対に許してはいけない。その増上慢の命を厳しく責め抜いて、叩き切っていくのだ。

「師とともに」こそわが人生の無上の誉れ
戸田先生 未来は弟子で決まる
さあ世界広布第2幕を出発

 弟子の戦いをただ事でないと
 一、ここで御書を拝したい。
 大聖人の御在世、最愛の子どもを失うという悲しみを乗り越え、懸命に信仰を貫いていた夫妻がいた。この夫妻を大聖人は、最大に讃えられた。
 「あなた方は、人々が皆、憎んでいる日蓮のことをふびんと思われて、このように、はるばると、山の中まで種々のものを送ってくださいました。それも、一度や二度のことではありません。これは、ただごとではない。ひとえに、釈迦仏が、あなた方の身に入れ替わられたのでしょうか」(御書1397ページ、通解)
 大聖人は、門下の信心の素晴らしさを、また、師匠を守る「弟子の戦い」を、「ただごとではない」と讃嘆しておられる。よくよく銘記したい御文である。
 戸田先生は叫ばれた。
 「一番大事なのは、弟子である」
 このとき、その場にいた者は、皆、シーンとして厳粛な空気が流れた。
 さらに先生は言われた。
 「弟子で未来が決定する。弟子が偉いから、師匠が仰がれるのだ」
 先生の一番の急所の指導であった。
 これが人生の真髄である。これが仏法の真髄である。
 この戸田先生の師子吼を、私は、わが青年部に、そのまま贈り託したい。
 一、「師匠」と「弟子」という仏法の厳粛な関係を明快にし、教えたのが創価学会である。師弟が仏法の縮図である。
 慢心の人間には、この師弟が分からない。ゆえに、仏法が分からない。
 どれほど、私が、戸田先生にお仕えしたか。
 仏は、もともと肺を患い、体が弱かった。
 それを心配され、戸田先生は、「私の命を代わりにあげたい」と言ってくださった。
 そして、私の義理の父母もいる前で、「大作は、三十まで生きられないだろう。残念だ。私を助けて、働きすぎた。学会のために、苦しめてしまった。申し訳ない」と落涙された。そういう師弟であったのである。

 牢獄までも共に
 一、牧口先生と戸田先生の師弟は、ともに牢獄に入られた。
 〈戦時中の1943年(昭和18年)8月6日、牧口先生と戸田先生は、軍部権力によって逮捕された。治安維持法違反と不敬罪の容疑であった。この弾圧によって、学会幹部21人が逮捕されたが、最後まで正義を貫いたのは、牧口先生と戸田先生だけであった。牧口先生は、昭和19年の11月18日、東京拘置所の病監で逝去された〉
 生きて牢獄を出られた戸田先生は、牧口先生の3回忌に、「あなたの慈悲の広大無辺は、わたくしを牢獄まで連れていってくださいました」とおっしゃった。
 これが創価学会の師弟である。
 この師弟の「生命の結合」があるかぎり、創価学会は永遠に盤石である。なくなってしまえば、ばらばらの烏合の衆となってしまう。
 師弟こそ仏法の根幹の法則である。師弟こそ学会の魂なのである。

日淳上人
 学会には正しい御本尊、正しい信仰、正しい指導が揃っている

 本門の弟子よ立ち上がれ! 
 一、ご存じのように、法華経の「本門」には、「迹門」とは一変した「師弟の世界」が展開されている。それは、久遠の弟子である地涌の菩薩の登場で始まる。
 本門の涌出品第15においては、地涌の菩薩の代表である四菩薩が、師の釈尊に対して、「世尊が、今、救おうとされている者たちは、たやすく導くことができるでしょうか。世尊を疲れさせてはいないでしょうか」等とお聞きしている。
 一心に師を思い、師を案ずる地涌の菩薩の姿が描かれているのである。
 「師匠をお守りする」
 「師匠とともに戦う」
 「師匠のために勝つ」──この一念の祈りと戦いに徹しゆくときに、仏に等しい力が湧き出ずるのだ。
 それを履き違えて、師弟を疎かにするならば、学会精神が蝕まれ、信心が蝕まれていくのである。「師弟相違せばなに事も成べからず」(御書900ページ)と仰せの通りだ。
 一、私の青春の誉れは何か──。
 それは、広宣流布の師匠である戸田城聖先生が、事業に失敗され、学会の理事長も辞任され、一番苦境にあられたときに、ただ一人、お守りしたことである。
 そして、どんなことがあっても戸田先生に第2代会長になっていただくと心に決め、その通りに、敢然と第2代会長就任の道を開いたことである。
 自分のことになってしまうが、後世のためにあえて明快に申し上げておきたい(大拍手)。
 一、日淳上人は、かつて、こうおっしゃった。
 「(学会には)良き信仰、正しい御本尊に正しい信仰、正しい指導、この三つが揃うておりまする」(創価学会第15回総会講演)
 思えば、60年前の8月24日、私が入信した当時の寺院で住職をされていたのが日淳上人であられた。
 「おめでとうございます」と心温まる祝福をいただいたこともよく覚えている。
 ただし、そのときの長い勤行・唱題には、ほとほとまいった(笑い)。
 前もって教えてくれる人もいなかった。だまされたかと思った(笑い)。
 ともあれ、私にとっては、戸田先生がいらっしゃるというだけでよかったのだ。以来、私は戸田先生とともに師弟の道を歩み抜いてきた。
 また、かつて日昇上人と御宝蔵で勤行をご一緒させていただいたことがあった。
 勤行が終わった後、私の方をぱっと向かれて、「勤行の声が、とてもきれいですね」とほめてくださった。
 日昇上人も、日淳上人も、学会を深く理解された大変に立派な人格の方であられた。僧俗和合を願う法主の本当の姿であられた。

新時代第10回本部幹部会での名誉会長のスピーチ-4に続く