巻頭言 2007・10月号

巻頭言

     「生涯青春」の多宝の友、万歳!

 慧光照
   寿命無数の
      わが生命
    恐れることなし
       悔いるものなし

 「たえず変化し、新しくなり、若返り、停滞しないようにするのが人間じゃないか」-私の好きな大文豪ゲーテの言葉である。こう語ったとき、ゲーテは八十歳であった。人間の若さを決めるものは何か。「心」である。年齢とともに、肉体は老いようとも、心は老け込んではならない。
 御聖訓には、「年は・わかうなり福はかさなり候べし」(1135ページ)と仰せである。いよいよ若々しく、いよいよ福運に充ち満ちて、荘厳な光を放ちながら、尊き今世の大使命をば果たし切っていくのだ。これが、創価の「常楽我浄」の生命の旅路である。
 ドイツの大詩人ヘルーダリンは雄雄しく謳った。「正義の戦はどんな魂をも生き生きとさせるのです」広宣流布の正義に戦う命に、心の老いが忍び寄る隙などない。

 多宝会
  熱き涙で
    讃えなむ
   所願満足
     諸天よ護れと

 佐渡流罪の大難のなかで、日蓮大聖人をお護り申し上げたのは、年配の門下であった。庵室には、地頭らが立ちはだかって厳しく監視を続けた。食事をお届けするのも、まさに命がけであった。「阿仏房にひつを・しおわせ夜中に度度・御わたりありし事いつの世にか・わすらむ、只悲母の佐渡の国に生まれかわりて有るか」(1313ページ)
 この方々の生命こそが、そのまま、法華経に説き明かされた荘厳な多宝の塔の当体なりと、蓮祖は厳然と断言されている。この大仏法の深義を体現し、生命の宝塔を光輝あらしめているのが、わが多宝会、宝寿会(東京)、錦宝会(関西)の同志である。
 ある日ある時、わが師・戸田城聖先生は私に語られた。「広宣流布のために一切をなげうって、一生涯を学会に尽くされた人を、永遠に讃えゆくことだ。永遠に、その人の名を忘れてはならない。大作、それが学会精神だよな。これが学会の崇高なる仏法の真髄だよな」


 妙法は
   歓喜の法と
     いや増して
    朗らか王者と
      長寿を楽しめ

 若さを保つ秘密は?私が対談した大歴史学者トインビー博士の結論は明快であった。次の世代のことに関心を持って、未来のために行動していくことであるーと。
 永遠の妙法とともに、後継の青年を育てながら「令法久住」に生きゆく生命は、いついつまでも瑞々しい。「妙とは蘇生の義なり蘇生と申すはよみがへる義なり」(947ページ)と記された通りの人生となる。
 歩くことは全身の筋肉の七割を使い、人とのコミュニケーションは脳を刺激する。いわんや、人々のために歩き、大法のために語る行動が、どれほど生命を活性化し、充実せしめることか。ヨーロッパ科学芸術アカデミーの会長であり、世界的な心臓外科医のウンガー博士も、長寿のためには、「身体面の運動」と同時に、信念・信仰という「精神面の運動」が重要であると力説されていた。学会活動は、健康長寿への完璧な法則であり、リズムだ。
 「私は、なおも若く、成長する内なる魂を感じている。それは、わが胸中の魂が永遠に存在し続けていくという、美事な証明ではないか?」とは、ビクトル・ユゴーの叫びである。
 御書を拝せば、「いよいよ」「今一重」「なをなを」等と随所に仰せだ。「月月・日日につより給へ」(1190ページ)。この本因妙の生命の息吹が、自他ともに永遠の幸福境涯を上昇しゆく推進力なのである。
 「長寿にして衆生を度せん」。法華経分別功徳品の一節である。はつらつと長生きし、その分、百戦錬磨の経験と智慧を活かして、皆を励まし、幸せにしていくことだーこの創価の多宝の連帯に、真に長命を寿ぐ「長寿社会」のモデルがあるといってよい。
 人類は「終の栖」(人生最後の着地)を、真剣に渇仰し始めた。「仏になる事こそ終の栖」と明確に示し切った日蓮仏法の哲理を、声高らかに語り抜いてまいりたい。

 生き生きと
    また晴れ晴れと
         青春の
       不老不死なる
           君も私も