小説「新・人間革命」 信義の絆27  11月29日

山本伸一は、強く心に誓っていた。

 “なんとしても、中ソの対立を友好に転じていかなければならない。いかなる事態になろうが、私は絶対にあきらめない。それには粘り強い対話しかない”

 伸一は、中国が憲法の前文を変え、反ソ路線を打ち出した三カ月後の一九七五年(昭和五十年)四月、三たび中国を訪れた。そして、再びトウ小平副総理と会談した。

 会談の焦点は、中ソ問題であった。

 トウ副総理は、ソ連への不信を強めていた。

 第三次世界大戦を起こすとすれば、それはアメリカかソ連であるとして、特にソ連には、強い警戒の念を示した。

 「四人組」が権勢を振るっていた時代だけに、反ソを印象づける見解を述べざるをえなかったのかもしれない。

 トウ副総理は、これまでの中ソの歴史を振り返りながら、ソ連への不信感を露にした。

 伸一は訴えた。

 「トウ先生、これから何十年、何百年、何千年という長い間、同じような警戒と緊張が続くのでは、両国人民、世界の人民が不安です。

 一歩前進して、何か友好的な、世界平和への方向を開くお気持ちはありませんか! 世界のために対話の会議を開くお考えはありませんか!」

 しかし、副総理は、国境紛争問題で何度も話し合いをしたが進展はなかったとして、ソ連を批判した。

 伸一は言った。

 「現実は厳しいかもしれませんが、ソ連の中国への姿勢が本質的に一歩変われば、友好を深めようというお気持ちはありますか」

 「それは、ソ連指導部の態度によります。ソ連人民とは、われわれは、ずっと友好的でした」

 伸一は思った。

 “中国は本来、ソ連との平和共存を望んでいることは間違いない。ソ連もまた、それを望んでいるのだ。

 複雑な状況があるにせよ、両国の関係を改善できぬわけがない。私は、さらに中ソ首脳と全生命を注いで対話しよう!”

 この第三次訪中の翌月、伸一は、再度、ソ連を訪問し、コスイギン首相をはじめ、ソ連首脳と会談していった。

 あきらめ、絶望――それに打ち勝つ勇気が時代を開く力となる。