2008年2月号 巻頭言

 「仏法即社会」の賢者たれ!
                  創価学会名誉会長  池田 大作
 仏法は
   即ち
    世間の法なれば
     社会の中で
       仏になるなり

 連祖大聖人は、「観心本尊抄」において厳然と宣言なされた。「天 晴れぬれば 地明らかなり 法華を識る者は世法を得可きか」(254ページ)
 真実の生きた仏法は、何と広々と社会に開かれていることか。いな、何と晴れ晴れと社会を照らして、リードしゆくことか。
 「智者とは世間の法より外に仏法を行ず」(1466ページ)との仰せ通りに、創価の師弟は、人間の中へ、民衆の中へ、社会の中へ、勇み飛び込んで「随縁真如の智」を発揮してきた。
 現実の社会から逃避するものでもなければ、権力に迎合すれのでもない。いわんや、邪宗門のごとき狂信は絶対に許さない。
 人類史を大きく画する、「宗教のための人間」から「人間のための宗教」への大転換を、創価学会は成し遂げてきたのだ。

 動揺の
   暗き社会に
     われわれは
    偉大な思想の
      王者と指揮とれ

 「御みやずかいを法華経とをぼしめせ、『一切世間の治世産業は皆実相と相違背せず』とは此れなり」(1295ページ)
 自らの「仕事」を「法華経」と思って、真剣に取り組みなさいーこの「檀越某御返事」の一節は、私たちの永遠の指針である。これは、伊豆流罪佐渡流罪に続いて、三度目の流罪に遭われるかもしれぬという状況の中で記された御聖訓である。
 正義ゆえの迫害を、大聖人は「百億万倍のさいわいなり」(同ページ)と誉れとなされた。そして門下に、職場を人生の主戦場と定めて断じて勝利せよと、「師子王の心」を打ち込まれたのである。
 わが師・戸田城聖先生も、仕事については厳格であられた。「信心は一人前・仕事は三人前」と教えられた。この師のもと、私は獅子奮迅の力で働き通した。それは、最悪の事業の苦境も、法華経の兵法で必ず打開できることを示し切る戦いであった。

 広布とは
   社会に働く
     人々が
    幸福勝ち取る
      証なるかな
 仕事は、たゆみなき「創意」と「工夫」の挑戦である。ブラジルの文豪アントニウス・アウストレジェジロは語った。「いつもいつも、“勝利”を念頭に置き給え!数々の創意工夫は“勝利”へ準備を整える“行動”である」
 油断や惰性を拝して、新鮮な活力で一日の仕事に臨むことが、勝利への道だ。その源泉こそ、朝の朗々たる勤行唱題である。
 それは、今いる場所で、勇気と智慧、誠実と忍耐を尽くして、「いなくてはならない人」との信頼を勝ち得ていく戦いだ。へこたれてはならぬ。戸田先生は、青年を励まされた。「どんな会社や組織でも、嫌な人間や悪い人間は必ずいるものだ。何も問題がないなどというのは、ありえない。問題があるから、力がつく。悪い人間がいるから境涯が大きくなる。そう達観して、大きく強く生き抜いていくことだ」
 釈尊の弟子の須達長者は、7度、貧窮のどん底を経験したと言われる。しかし、この夫妻は、どんな時にも、師匠をお護りするために何も惜しまなかった。その心で、最後は勝った。インド第一の大長者となって、祇園精舎を建設し、師に捧げたのである。
 わが学会も、文化本部、社会本部、地域本部、教育本部、国際本部の尊き同志を先頭に、創価の賢者と長者が光っている。
 その活躍を、世界的な宗教社会学者でハーバード大学の教授であられたジェームス・アダムス博士も賞賛してくださった。
 「社会の変化の中で、個人を磨き、深化させていってこそ、そこに歴史を変える智慧と力が育まれるのです。その意味で、創価の思想と行動は、大変に重要な意義をはらんでいます」
 世界も見つめる「人材・拡大の年」。それは、まず自分が「仏法即社会」の太陽となって、希望の光線を拡大しゆく一年だ。

 敢然と
   厳しき社会に
      躍り出よ
    勝ちゆけ 勝ち抜け
        創価の博士と