2008年2月22日 聖教新聞 創価女子短期大学 特別文化講座 キュリー夫人を語る 4-1
2008年2月22日 聖教新聞
創価女子短期大学 特別文化講座 キュリー夫人を語る 4-1
忍耐と自信を持て 道は必ず開ける!
青春乃(の)
英智の朝日は
昇りける
嵐の時にも
笑顔たたえて
嵐のような環境にあっても、笑顔を忘れない。その人は、人間としての勝利者です。
わが家のことで恐縮ですが、私の妻は、いかなる試練の時も、笑顔をたやさず、共に進んでくれました。私は妻への感謝を込めて「微笑み賞」を贈りたいと話したことがあります。
どうか、皆さんも、どんな時も朗らかな笑顔を輝かせていける、強き女性になってください。
キュリー夫人 最も苦労した時代が最も幸福な時代でした
価値ある仕事は地道な積み重ね
一、ラジウムを取り出そうとする、キュリー夫妻の労作業は続きました。実に4年間、二人は実験室での苦しい闘いに没頭したのです。
そして、ついに1902年、二人はラジウム塩の抽出に成功します。世界初の快挙でした。
取り出した量は、わずか「0・1グラム」です。数トンの鉱物から、たったの0・1グラム──。
マリーは後に回想しています。
この苦労に満ちた日々こそが、「もっともすばらしい、もっとも幸福な時代」「ふたりがともにすごした生涯の英雄時代」だったと(木村彰一訳「キュリー自伝」、『人生の名著8』所収、大和書房)。 意まれた環境だからといって、偉業が達成できるわけではない。また、一見、華々しく見える活躍が、必ずしも大きな価値を持っているわけでもない。
本当に価値のある仕事、歴史に残る事業というものは、目立たない、地道な積み重ねである場合が多いのです。
仕事は戦いです。また、自分自身の一念しだいで、仕事を通して、自分を磨き、強めていくこともできる。
戸田先生の会社で働いていた時、先生は私たちに、こう語られたことがあります。
「仕事に出かけるときは『行ってまいります』というけれども、仕事は戦いなんだから『戦いに行ってまいります』というべきだ」と。
厳しき現実社会で戦う人間が、根本に持つべき心構えを教えてくださった。
社会は、思うようにいかない苦闘の連続です。希望通りの進路にならなかった場合もある。しかし、そうしたことで大切な自分を見失ってはならない。
若き日にマリーは、兄に宛てて次のような手紙を書いています。
「人生は、私たちの生涯にとっても生やさしいものではないようね。
でも、それが何だというのでしょう。
私たちは自身に忍耐力を、中でも自信を持たねばなりません。
私たちが何かについて才能に恵まれていることと、どんな犠牲を払ってもそれが実現されねばならないこととを私たちは信じるべきです。
多分、ほとんど予想もしない瞬間にすべてがうまくいくことになるのでしょう」(桜井邦朋著『マリー・キュリー』地人書館)
私はこのマリー・キュリーの言葉を、健気な短大生の皆さんに贈りたい。
特に、これから社会に旅立つ、卒業生の皆さんに贈りたいのです。
何があっても、忍耐と自信をもって、強く前進しつづけることだ。「進む」なかで、「動く」なかで、自分にしかない才能が見つかり、自分にしか果たすことのできない使命の道を開くことができるのです。
悲観主義でなく楽観主義でいけ
一、フランスの故・ポエール上院議長は、私が20年以上にわたって、お嬢さんやお孫さんも含めて、家族ぐるみで深く親交を結んだ方です。
第2次世界大戦で、命がけでレジスタンス運動を戦い抜いた正義の闘士です。
その議長が政治家を目指したきっかけは、戦火の中だったという。
議長は、防空壕を掘って、自分は死んでもいいから一人でも多くの人を救いたいと救助に当たっていた。
その時、「自分には人々を安心させる力がある」と気づき、政治家への道が始まったと回想しておられました。
ポエール議長は青年に対し、こう語られています。
「将来を信ずることです。勇気と希望を失わないことです。未来へ参加していくことです。青年なくして未来はありえない」
「絶対に悲観主義ではいけない。楽観主義でいくべきです。物事は、いろいろと変化していくものですから」
「また何かやろうとするときは、自分自身を信じることです」
幸福は、どこにあるのか。
それはわが生命の充実感の中にある。そしてこの充実感は、労苦を勝ち越える挑戦から得られる。
人知れぬ地道な、信念に徹する闘争のなかに、何ものにも侵されない、人生の喜びと悔いなき満足が生まれるのです。
「ラジウムは万人のもの」
一、1903年、ピエールとマリーの二人は、放射線研究の先駆者であるアンリ・ベックレルとともにノーベル物理学賞を受賞します。
ラジウムは、にわかに世界の注目を集めました。ガンの治療などに効果があることが明らかになってきたからです。
今日、ガンに対して用いられる放射線治療は、「キュリー夫妻のラジウム発見に始まる」と言われています。
世界のさまざまな国が、ラジウムを求め始めました。しかし、ラジウムを抽出する技術を知っているのは、キュリー夫妻だけです。
この技術の特許をとれば、莫大な財産を築くことができる。子どもたちの将来の生活も保障してあげられる。何よりも、立派な実験室を持って、思う存分、研究に精を出せる──。
あるときピエールが、この考えについて、マリーに尋ねました。マリーは、こう答えた。
「それはいけません。それでは、科学的精神に反することになるでしょう」(エーヴ・キュリー著、川口篤ほか訳『キュリー夫人伝』白水社)
「ラジウムは病人を治療するのに役だつでしょう......。けれど、それから利益を引き出すなんてことは、わたしできないと思います」(同)
ピエールも、マリーの意見に同意しました。
のちにマリーは、特許をとれば大金持ちになれたのにと話す人に対し、毅然と答えています。
「誰もラジウムでお金持ちになってはいけません。あれは元素です。ですから万人のものです」(オルギェルト・ヴォウチェク著、小原いせ子訳『キュリー夫人』恒文社)
二人は、健康を害し、寿命を縮め、筆舌に尽くせぬ苦闘を通して得た技術を、世界に、人類に、未来に捧げました。
その生き方は、仏法で説く「菩薩道」の人生と深く一致しています。
勇気は絶望を照らす光
夫ピエールを失った悲しみの底で 何があろうと私は生き抜く!
突然の別れ
一、ラジウムの発見、ノーベル賞受賞といった偉大な功績が認められ、1904年、ピエールはパリ大学の教授に就任します。
マリーも、夫の研究室の主任となりました。さらに翌年、ピエールは科学学士院の会員に選ばれました。
〈創立者は1989年6月、フランス学士院で「東西における芸術と精神性」と題して講演を行い、「この講演は偉大なる一編の詩であり、生命の真髄への探究に捧げられた芸術です」(同学士院芸術アカデミーのランドフスキー終身事務総長)等の大きな反響が寄せられた〉
ピエールがパリ大学の教授となった年には、二女のエーヴが生まれています。キュリー夫妻は、人生の幸福と、研究の充実の真っ只中にありました。
1906年の4月。ピエールとマリーは、二人の娘と一緒に、田園風景を楽しみました。
久しぶりの休日。自転車に乗ったり、牧場に寝ころんだり、美しい森を散歩したりして、家族で和やかな一日を過ごしたのです。
ピエールは、元気に跳びはねる、かわいい娘たちを、そして最愛のマリーを、幸せそうに見つめていました。
二人の人生が、本格的な開花の季節を迎えようとしている。そう思えてならない、春の美しい日々でした。
創価女子短期大学 特別文化講座 キュリー夫人を語る 4-2に続く
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創価女子短期大学 特別文化講座 キュリー夫人を語る 4-1
忍耐と自信を持て 道は必ず開ける!
青春乃(の)
英智の朝日は
昇りける
嵐の時にも
笑顔たたえて
嵐のような環境にあっても、笑顔を忘れない。その人は、人間としての勝利者です。
わが家のことで恐縮ですが、私の妻は、いかなる試練の時も、笑顔をたやさず、共に進んでくれました。私は妻への感謝を込めて「微笑み賞」を贈りたいと話したことがあります。
どうか、皆さんも、どんな時も朗らかな笑顔を輝かせていける、強き女性になってください。
キュリー夫人 最も苦労した時代が最も幸福な時代でした
価値ある仕事は地道な積み重ね
一、ラジウムを取り出そうとする、キュリー夫妻の労作業は続きました。実に4年間、二人は実験室での苦しい闘いに没頭したのです。
そして、ついに1902年、二人はラジウム塩の抽出に成功します。世界初の快挙でした。
取り出した量は、わずか「0・1グラム」です。数トンの鉱物から、たったの0・1グラム──。
マリーは後に回想しています。
この苦労に満ちた日々こそが、「もっともすばらしい、もっとも幸福な時代」「ふたりがともにすごした生涯の英雄時代」だったと(木村彰一訳「キュリー自伝」、『人生の名著8』所収、大和書房)。 意まれた環境だからといって、偉業が達成できるわけではない。また、一見、華々しく見える活躍が、必ずしも大きな価値を持っているわけでもない。
本当に価値のある仕事、歴史に残る事業というものは、目立たない、地道な積み重ねである場合が多いのです。
仕事は戦いです。また、自分自身の一念しだいで、仕事を通して、自分を磨き、強めていくこともできる。
戸田先生の会社で働いていた時、先生は私たちに、こう語られたことがあります。
「仕事に出かけるときは『行ってまいります』というけれども、仕事は戦いなんだから『戦いに行ってまいります』というべきだ」と。
厳しき現実社会で戦う人間が、根本に持つべき心構えを教えてくださった。
社会は、思うようにいかない苦闘の連続です。希望通りの進路にならなかった場合もある。しかし、そうしたことで大切な自分を見失ってはならない。
若き日にマリーは、兄に宛てて次のような手紙を書いています。
「人生は、私たちの生涯にとっても生やさしいものではないようね。
でも、それが何だというのでしょう。
私たちは自身に忍耐力を、中でも自信を持たねばなりません。
私たちが何かについて才能に恵まれていることと、どんな犠牲を払ってもそれが実現されねばならないこととを私たちは信じるべきです。
多分、ほとんど予想もしない瞬間にすべてがうまくいくことになるのでしょう」(桜井邦朋著『マリー・キュリー』地人書館)
私はこのマリー・キュリーの言葉を、健気な短大生の皆さんに贈りたい。
特に、これから社会に旅立つ、卒業生の皆さんに贈りたいのです。
何があっても、忍耐と自信をもって、強く前進しつづけることだ。「進む」なかで、「動く」なかで、自分にしかない才能が見つかり、自分にしか果たすことのできない使命の道を開くことができるのです。
悲観主義でなく楽観主義でいけ
一、フランスの故・ポエール上院議長は、私が20年以上にわたって、お嬢さんやお孫さんも含めて、家族ぐるみで深く親交を結んだ方です。
第2次世界大戦で、命がけでレジスタンス運動を戦い抜いた正義の闘士です。
その議長が政治家を目指したきっかけは、戦火の中だったという。
議長は、防空壕を掘って、自分は死んでもいいから一人でも多くの人を救いたいと救助に当たっていた。
その時、「自分には人々を安心させる力がある」と気づき、政治家への道が始まったと回想しておられました。
ポエール議長は青年に対し、こう語られています。
「将来を信ずることです。勇気と希望を失わないことです。未来へ参加していくことです。青年なくして未来はありえない」
「絶対に悲観主義ではいけない。楽観主義でいくべきです。物事は、いろいろと変化していくものですから」
「また何かやろうとするときは、自分自身を信じることです」
幸福は、どこにあるのか。
それはわが生命の充実感の中にある。そしてこの充実感は、労苦を勝ち越える挑戦から得られる。
人知れぬ地道な、信念に徹する闘争のなかに、何ものにも侵されない、人生の喜びと悔いなき満足が生まれるのです。
「ラジウムは万人のもの」
一、1903年、ピエールとマリーの二人は、放射線研究の先駆者であるアンリ・ベックレルとともにノーベル物理学賞を受賞します。
ラジウムは、にわかに世界の注目を集めました。ガンの治療などに効果があることが明らかになってきたからです。
今日、ガンに対して用いられる放射線治療は、「キュリー夫妻のラジウム発見に始まる」と言われています。
世界のさまざまな国が、ラジウムを求め始めました。しかし、ラジウムを抽出する技術を知っているのは、キュリー夫妻だけです。
この技術の特許をとれば、莫大な財産を築くことができる。子どもたちの将来の生活も保障してあげられる。何よりも、立派な実験室を持って、思う存分、研究に精を出せる──。
あるときピエールが、この考えについて、マリーに尋ねました。マリーは、こう答えた。
「それはいけません。それでは、科学的精神に反することになるでしょう」(エーヴ・キュリー著、川口篤ほか訳『キュリー夫人伝』白水社)
「ラジウムは病人を治療するのに役だつでしょう......。けれど、それから利益を引き出すなんてことは、わたしできないと思います」(同)
ピエールも、マリーの意見に同意しました。
のちにマリーは、特許をとれば大金持ちになれたのにと話す人に対し、毅然と答えています。
「誰もラジウムでお金持ちになってはいけません。あれは元素です。ですから万人のものです」(オルギェルト・ヴォウチェク著、小原いせ子訳『キュリー夫人』恒文社)
二人は、健康を害し、寿命を縮め、筆舌に尽くせぬ苦闘を通して得た技術を、世界に、人類に、未来に捧げました。
その生き方は、仏法で説く「菩薩道」の人生と深く一致しています。
勇気は絶望を照らす光
夫ピエールを失った悲しみの底で 何があろうと私は生き抜く!
突然の別れ
一、ラジウムの発見、ノーベル賞受賞といった偉大な功績が認められ、1904年、ピエールはパリ大学の教授に就任します。
マリーも、夫の研究室の主任となりました。さらに翌年、ピエールは科学学士院の会員に選ばれました。
〈創立者は1989年6月、フランス学士院で「東西における芸術と精神性」と題して講演を行い、「この講演は偉大なる一編の詩であり、生命の真髄への探究に捧げられた芸術です」(同学士院芸術アカデミーのランドフスキー終身事務総長)等の大きな反響が寄せられた〉
ピエールがパリ大学の教授となった年には、二女のエーヴが生まれています。キュリー夫妻は、人生の幸福と、研究の充実の真っ只中にありました。
1906年の4月。ピエールとマリーは、二人の娘と一緒に、田園風景を楽しみました。
久しぶりの休日。自転車に乗ったり、牧場に寝ころんだり、美しい森を散歩したりして、家族で和やかな一日を過ごしたのです。
ピエールは、元気に跳びはねる、かわいい娘たちを、そして最愛のマリーを、幸せそうに見つめていました。
二人の人生が、本格的な開花の季節を迎えようとしている。そう思えてならない、春の美しい日々でした。
創価女子短期大学 特別文化講座 キュリー夫人を語る 4-2に続く
ブログ はればれさんからのコピーです。