小説「新・人間革命」 人間外交23 3月28日
創価学園では、卓球大会に続いて、学園生の代表や教職員、創大の教授らが参加して、留学生の創価学園訪問記念の歓迎夕食会が行われた。
これは、若い学園生たちが中国の留学生と交流を図ることによって、末永い日中友好の道を開きたいとの思いから、伸一が提案し、実施されたものであった。
そして、四月十日、創価大学の入学式が晴れやかに挙行され、新中国からの留学生を迎えたのである。
ここに、日中教育交流の新しき歴史の扉が開かれたのだ。
伸一も、この第五回となる入学式に出席し、あいさつのなかで、留学生一人ひとりの名前を呼んで、その出発を心から祝福したのである。
今回の中国からの留学生は、わずか六人にすぎないかもしれない。しかし、伸一は、その彼方に広がる、日中友好の洋々たる未来を見ていた。
留学生の受け入れを続けていけば、年月とともに何十人、何百人となっていく。しかも、それぞれが、やがては中国の中枢を担う人材なのだ。
そのメンバーが日本を理解し、日本を好きになるならば、それは日中友好の大河となることは間違いない。
眼前の物事の先に続く未来を見よ! 彼方を見よ! そこには、新しき世界が広がっている。
エマソンは叫んだ。
「偉大なものは未来に向かって呼びかけるのだ」(注)
創価大学の入学式を終えた山本伸一は関西に移り、四月十二日には大阪に開校予定の関西創価小学校の起工式に臨んだ。
さらに、十三日には、創価女子中学・高校の二期生、三期生との記念撮影会に出席。生徒たちは、伸一の第三次訪中を心から祝福し、にぎやかに見送ってくれた。
そして、十四日、初めて伊丹の大阪国際空港から、中国訪問に出発したのである。
今回の訪中では、中日友好協会への訪問、武漢大学での図書贈呈式への出席、また、上海の復旦大学の訪問も予定されていた。
北京だけでなく、武漢、上海の大学とも交流し、日中の青年たちが往来できる「金の橋」を大きく広げようというのが、伸一の願いであり、決意であった。
引用文献: 注 『エマソン論文集(上)』酒本雅之訳、岩波書店
これは、若い学園生たちが中国の留学生と交流を図ることによって、末永い日中友好の道を開きたいとの思いから、伸一が提案し、実施されたものであった。
そして、四月十日、創価大学の入学式が晴れやかに挙行され、新中国からの留学生を迎えたのである。
ここに、日中教育交流の新しき歴史の扉が開かれたのだ。
伸一も、この第五回となる入学式に出席し、あいさつのなかで、留学生一人ひとりの名前を呼んで、その出発を心から祝福したのである。
今回の中国からの留学生は、わずか六人にすぎないかもしれない。しかし、伸一は、その彼方に広がる、日中友好の洋々たる未来を見ていた。
留学生の受け入れを続けていけば、年月とともに何十人、何百人となっていく。しかも、それぞれが、やがては中国の中枢を担う人材なのだ。
そのメンバーが日本を理解し、日本を好きになるならば、それは日中友好の大河となることは間違いない。
眼前の物事の先に続く未来を見よ! 彼方を見よ! そこには、新しき世界が広がっている。
エマソンは叫んだ。
「偉大なものは未来に向かって呼びかけるのだ」(注)
創価大学の入学式を終えた山本伸一は関西に移り、四月十二日には大阪に開校予定の関西創価小学校の起工式に臨んだ。
さらに、十三日には、創価女子中学・高校の二期生、三期生との記念撮影会に出席。生徒たちは、伸一の第三次訪中を心から祝福し、にぎやかに見送ってくれた。
そして、十四日、初めて伊丹の大阪国際空港から、中国訪問に出発したのである。
今回の訪中では、中日友好協会への訪問、武漢大学での図書贈呈式への出席、また、上海の復旦大学の訪問も予定されていた。
北京だけでなく、武漢、上海の大学とも交流し、日中の青年たちが往来できる「金の橋」を大きく広げようというのが、伸一の願いであり、決意であった。
引用文献: 注 『エマソン論文集(上)』酒本雅之訳、岩波書店