小説「新・人間革命」 人間外交40 4月18日
トウ小平副総理と会談した四月十六日の午後、山本伸一の一行は、北京市郊外にある「五・七幹部学校」を参観した。
翌十七日には、中日友好協会の廖承志会長夫妻の来訪を受けた。
廖会長は、病気で入院していたが、この日は、医師から外出許可をもらい、わざわざ宿舎に来てくれたのである。
伸一は、廖会長から訪問したいとの連絡をもらった時、喜びに小躍りしたい気持ちであった。体調を崩していると聞いており、今回はお会いできないかもしれないと思っていたからだ。
「お待ちしております」
彼は、こう言ってしまったあと、悔やまれてならなかった。
“廖会長に無理をさせ、負担をおかけすることになるのではないか。お体のことを考え、丁重にご辞退申し上げるべきではなかったか。
会見は短時間で切り上げなければ……”
人への思いは、具体的な心遣いのなかにこそ現れるものだ。
第二次訪中以来、四カ月ぶりに会う廖会長は、少しやつれていた。しかし、変わらぬ温和な笑顔で語った。
「だいぶよくなりました。病のために、飛行場へは出迎えにも行けませんで……」
病床に伏しながらも、“迎えに行かねば”と、気をもんでくださったのであろう。伸一は、その真心に目頭が熱くなった。
「出迎えなど、とんでもないことでございます。決してお気遣いなさいませんように……。
どうか、お体を大切になさってください」
互いを思い合う、心と心が響き合った。
伸一は、トインビー博士との対談集『二十一世紀への対話』に、一文を認めて贈った。
「敬愛する廖承志先生
中国の未来のためにも そして日本のためにも ただひたすらご健康をお祈り申し上げます」
伸一は言った。
「この本は、最近発刊されたものですが、中国では最初に先生に記念としてお贈りします。
先生は国家の大切な指導者です。いつまでも、いつまでも、お元気でいてください」
廖会長は、嬉しそうに頷いた。
伸一と峯子は、その夜、宿舎で、廖会長の健康を祈願し、遅くまで唱題を続けた。
翌十七日には、中日友好協会の廖承志会長夫妻の来訪を受けた。
廖会長は、病気で入院していたが、この日は、医師から外出許可をもらい、わざわざ宿舎に来てくれたのである。
伸一は、廖会長から訪問したいとの連絡をもらった時、喜びに小躍りしたい気持ちであった。体調を崩していると聞いており、今回はお会いできないかもしれないと思っていたからだ。
「お待ちしております」
彼は、こう言ってしまったあと、悔やまれてならなかった。
“廖会長に無理をさせ、負担をおかけすることになるのではないか。お体のことを考え、丁重にご辞退申し上げるべきではなかったか。
会見は短時間で切り上げなければ……”
人への思いは、具体的な心遣いのなかにこそ現れるものだ。
第二次訪中以来、四カ月ぶりに会う廖会長は、少しやつれていた。しかし、変わらぬ温和な笑顔で語った。
「だいぶよくなりました。病のために、飛行場へは出迎えにも行けませんで……」
病床に伏しながらも、“迎えに行かねば”と、気をもんでくださったのであろう。伸一は、その真心に目頭が熱くなった。
「出迎えなど、とんでもないことでございます。決してお気遣いなさいませんように……。
どうか、お体を大切になさってください」
互いを思い合う、心と心が響き合った。
伸一は、トインビー博士との対談集『二十一世紀への対話』に、一文を認めて贈った。
「敬愛する廖承志先生
中国の未来のためにも そして日本のためにも ただひたすらご健康をお祈り申し上げます」
伸一は言った。
「この本は、最近発刊されたものですが、中国では最初に先生に記念としてお贈りします。
先生は国家の大切な指導者です。いつまでも、いつまでも、お元気でいてください」
廖会長は、嬉しそうに頷いた。
伸一と峯子は、その夜、宿舎で、廖会長の健康を祈願し、遅くまで唱題を続けた。