小説「新・人間革命」  6月14日 共鳴音23

アウレリオ・ペッチェイ博士が、祖国のイタリアで抵抗運動に身を投じ、そして、逮捕されたのは一九四四年(昭和十九年)二月、三十五歳のことであった。

 ナチス・ドイツムッソリーニを傀儡にし、北イタリアを支配下に置いていた時である。

 博士は、顔も見分けがつかなくなるほどの、拷問を受けた。しかし、鋼鉄の信念は、いささかも揺るがなかった。

「牢獄では、頼れるものは自分の信念と人間性だけです。普段、皆に号令をかけている人間ほど、もろかった。

 むしろ、黙々として、静かなぐらいの人間の方が、極限状態では強かったことを覚えています」

 そして博士は、怒りをかみしめるように、拳を握って言った。

「私は、変節漢が一番嫌いです!」

 山本伸一は博士の気持ちがよくわかった。彼もまた、変節漢は大嫌いであったからだ。

 青年時代、戸田城聖の会社に勤務していた時、戸田の事業が行き詰まると、社員たちのなかには戸田を恨み、罵倒しながら去っていく者が後を絶たなかった。

 皆、それまで、「戸田先生に生涯、ついてまいります」などと、殊勝な顔で語っていた男たちである。

 伸一は、その変節と臆病さに、強い憤りと、哀れさを覚えたことが忘れられなかった。

 変節は自身の敗北であるだけでなく、同志への裏切りである。裏切りは古来、人間として最も醜悪な行為であった。

 古代ギリシャの詩人アイスキュロスも、こう叫んでいる。

「まこと、裏切りよりさらに 忌むべき病いはありません」(注)

 ペッチェイ博士は、何日も拷問に耐えた。そして、投獄十一カ月、窮地を脱した。敗戦後の報復を恐れた軍の幹部が、密かに釈放したのだ。

「まったく酷い目にあいました。しかし、痛手を受けた分だけ、私の信念は鍛えられました。絶対に裏切らない友情も結べました。

 だから、逆説的には、『ファシストからも教えられた』というわけです」

 博士は、こう言って微笑し、肩をすぼめ、言葉をついだ。

「その意味で、ファシストたちを許す気持ちになっています」



引用文献: 注 「縛られたプロメーテウス」(『ギリシア悲劇全集2』所収)伊藤照夫訳、岩波書店