2008年6月23日付 聖教新聞  新時代第19回本部幹部会での名誉会長のスピーチ-3

2008年6月23日付 聖教新聞
新時代第19回本部幹部会での名誉会長のスピーチ-3

 一、ここで御聖訓を拝したい。大聖人から大きな恩を受けながら、佐渡流罪の大難の時に退転した女性の弟子に、領家(りょうけ)(※巻末参照)の尼がいる。
 彼女について大聖人は、「恩を知らない人間となって、後生に悪道に堕ちられることがかわいそうでならない」(御書895ページ、通解)と仰せになられた。
 ──どんな厳しい生命状態に陥ってしまうことか。かわいそうだ。だからこそ、指導して、なんとか助けてあげたいのだ──という心を込められた、有名な御文である。
 私もまた同じ思いである。"恩知らず"が多くなれば、学会は危うい。
 一、健気な信心を貫く弟子に対して大聖人は、「聖人」、また「賢人」等と呼ばれた。
 "皆、自分と同じである。人として最高の存在である。だから、最高の名前を"──こういう思いでおられたのではないだろうか。
 大聖人は、"学歴"があり、社会的地位が高い人を讃えたのではなかった。
 信心の世界に、学歴など一切、関係ない。そうした差別は、絶対にあってはならない。御書を拝しても、"学歴を重視せよ"などということは、ひとつもおっしゃっていない。
 末法の御本仏である大聖人から「聖人」と呼ばれたのは、まったく無名の母である。
 ここが、重要なところなのだ。この一点がわからなくなつてしまうと、学会も破滅する。
 私は、戸田先生という師匠と巡り合う幸運に恵まれ、この"根底"を知っている。だから学会を護り抜くことができた。
 この心がわからない人間がリーダーとなって、わずかでも舵取りを間違えたならば、学会は、もはや発展できない。
 学会は信心の団体であり、広宣流布の団体である。広宣流布ができる人、広布のために指導できる人が中心である。
 佐渡流罪で多くの弟子が退転するなか、鎌倉から幼子とともに訪れた女性──大聖人は彼女の信心を讃えられ、「日妙聖人」と尊称を贈られた。
 ひるがえって、わが創価の尊き婦人部こそ、蓮祖から「聖人」と讃えられるべき方々である。大聖人が仰せになったその通りの、最高に尊貴な方々なのだと、私は強く申し上げておきたい(大拍手)。

青年の時代だ!「創価の賢人」と光れ!
広布の全責任を担い立て

 「信心」の世界は「信心」を基準に
 「また、「賢人」と呼ばれたのは、青年・南条時光であった。熱原の法難の渦中、勇敢に同志を護った戦いを讃え、「上野賢人」と贈られた。
 蓮祖から"創価の賢人"と讃えられることは、どんな有名な大学を卒業するよりも尊い、永遠に輝く名誉である。
 これが仏法の真髄である。広宣流布の、そして成仏の真髄の法則である。つまらぬ権威主義に惑わされて、信心を乱したならば謗法になってしまう。
 戸田先生も牧口先生も、信心をするうえで学歴が大事だなどとは一言も言われなかった。
 当然のことだが、学歴や肩書によって、社会的に重視されることがある。また、立派な人物の存在によって、学会の信頼が深まる場合も、あって然るべきである。
 しかし、「信心」それ自体の世界においては、「信心」が基準なのだ。折伏をした人が"大先輩"である。
 例えば、柔道をやっている人が、柔道と関係のない本を読んで「おれは頭がいい」と自慢しても、柔道とは何の関係もない。柔道家にとって大事なのは、「柔道で勝つ」ことであろう。簡単に言えば、信心もこれと同じである。

 「半分でも難を受けてみよ!」
 一、さらに、御聖訓に仰せである。
 「もし『恩』を知り、心ある人々であるならば、(大聖人が)2回、杖で打たれるならば、そのうち1回は代わって受けるべきではないだろうか」(御書1450ページ、通解)
 有名な御文である。
 日蓮大聖人は、苦しむ民衆を救うため、邪法との戦いに決然と立ち上がられた。
 そして、その正義の行動ゆえに、讒言され、所を追われ、わが身に傷を負い、2度までも流罪に遭われた。
 この恩を知り、仮にも仏道を求める、心ある人ならば、半分でも代わりに難を受けるべきではないか!──これがリーダーの立場にある者への御本仏の叫びであった。
 しかし、現実は、代わりに難を受けるどころか、かえって大恩ある大聖人に怨をなしたのである。
 一、次元は違うが、戦後、広宣流布に立ち上がった恩師の戸田先生を待ち受けていたのは、事業の挫折という、最大の苦境であった。
 この絶体絶命のときに、だれが恩師を護ったのか。
 臆病な弟子は、逃げ出した。年寄りの幹部の多くは、ずるくなり、要領を使うようになった。
 当時、幹部は大勢いたが、戸田先生は、「青年しか信用できない」「第3代会長は、青年部に渡す」と明快に断言されたのである。
 今も方程式は同じだ。
 私も青年に託すしかない。どこまでも、師弟の心を護り、師弟の心を受け継ぎ、戦っていく人間をつくる以外、広宣流布の未来はないのである。
 信じられるのは、君たち青年である。
 「青年部、頼む!」と重ねて申し上げたい。

 ただ会員のため
 「私自身、第3代会長を辞任した際、学会本部に私の指揮を執るべき席はなく、小さな管理者室で執務を続けたこともあった。
 しかし、いかなる立場になろうとも、「会員のため」「学会のため」とのわが信念は、揺らぐことはなかった。私は少しも変わらずに働き続けた。
 この嵐の渦中にも、私の妻は、明るい笑顔で、「これからは、今までお会いできなかった同志の皆さんのお宅に行けますね。海外の皆さんともお会いできますね」と言って支えてくれた。
 また、ある時は、私の前で、毅然として「あなたが戸田先生に命を捧げて、学会をここまで大きくしたことは、だれよりも、私が存じ上げています。御本尊様が、すべて見通しておられます」と語ったこともあった。
 一、牧口先生、戸田先生に厳然と流れる、日蓮仏法の「広布に戦う魂」──それを受け継いだのは私である。
 私がいなかったら学会精神は滅んでいる。第3代が、学会を救ったのである。
 自分のことになって恐縮だが、後世のため、青年のため、ありのままに真実を語らせていただきたい(大拍手)。

 怒りの叫びを!
 一、戸田先生は、恩知らずの坊主や元幹部などには、本当に厳しかった。
 「あんな下劣な連中に、崇高な学会を乱されてたまるものか!」と烈火のごとく叫ばれた。
 この「正義の怒り」を幹部は持たねばならない。邪悪への「怒り」が大事なのだ。
 大切な学会が、バカにされても、何も言えない。自分だけ、いい子になって黙っている。
 そんな意気地なしの幹部では、会員がかわいそうだ。
 沈黙は卑怯である。
 最高幹部から「正義の叫び」を発していってもらいたいのだ。
 一、権力を持って、人を操り、偉ぶっている人間が、どれほど偉いのか。仏法の永遠の次元から見れば、はかない塵のようなものである。
 信心の世界は、崇高な人間の舞台である。
 こちらのほうが何千倍も大事だ。人間の幸不幸を決める根本の戦いであるからだ。
 一、戸田先生は厳しく指導された。
 「仏意仏勅の学会を私利私欲のために利用したり、大恩ある学会を裏切ったりした者は、必ずや諸天から裁かれる」と。
 さらに先生は、こうも言われた。
 「私が気を許したら、悪い人間が、学会の中に入ってきてしまう。悪い人間を、絶対に学会に近づけるな」と。
 悪い人間に気を許すな。近づけるな──それが先生の遺言であった。

創価班・牙城会 無敵の城を君の手で

 急行列車の如く
 一、戸田先生は強く叫ばれた。
 「なんといっても、これからの学会を背負っていくのは青年である」
 私も青年部の諸君に申し上げたい。
 「君たちが直系の弟子として立ち上がれ!」と。
 私は、青春時代、朝から晩まで、「先生!」「先生!」と叫んで、戸田先生だけを心に思って生きてきた。
 戸田先生ひと筋。まるで急行列車のように、まっすぐに先生を求めた。
 たしかに戸田先生は、事業に失敗され、借金もつくられた。豪放磊落な性格が誤解を招くこともあった。
 しかし、19歳で戸田先生と出会った私は、「戸田先生こそ創価学会の大黒柱であり、牧口先生の真実の後継者である」と直感的に見抜いた。
 そして、ただ一人、「戸田先生が師匠だ」と決めたのである。
 決めたからには、仕事のこと、広布のこと、先生の健康のこと、すべてにわたり、言語に絶するほど、私は働いた。先生を徹してお護りした。
 苦境の中、夜中の3時ごろにご自宅に呼ばれ、打開策を協議したこともあった。それほどに先生は、若き私に、全幅の信頼を寄せてくださっていた。本当に、美しい師弟であった。
 一、私は心に誓った。
 「どんなことがあっても、先生に健康になっていただこう。そして絶対に、先生に学会の会長として指揮を執っていただくのだ」と。
 そして、その通りの「勝利の歴史」を切り開いていった。
 これが学会の師弟である。皆さんも、この師弟に続いてほしい。真実の師弟を知る青年部であってほしい。
 青年部の時代である。君たち青年部が偉くなって、学会の全責任を担っていくのだ。
 そのために、私は着々と手を打っている。
 長時間、本当にありがとう! 海外の方々も、遠いところ、ありがとうございます。
 いつまでも、お達者で! お幸せに! お元気で!
 最後に、一緒にお題目を唱えよう。
 〈ここで名誉会長を導師に唱題した〉
 皆さん、大変にご苦労さまでした。またお会いしましょう。
 お帰りになられましたら、皆様にくれぐれもよろしくお伝えください。
 本当にありがとう!(大拍手)
 (2008・6・18)

 ※編集部として、名誉会長の了承のもと、時間の都合で省略された内容を加えて掲載しました。

[※領家=日本の荘園制において、荘園を開発した開発領主(かいほつりょうしゅ)から寄進を受けた荘園領主である。中央の有力貴族や有力寺社が荘園寄進を受けて領家となっていた。(出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』)=管理人]

新時代第19回本部幹部会での名誉会長のスピーチ〔完〕


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