2008年7月21日付 聖教新聞 新時代第20回本部幹部会での名誉会長のスピーチ 上-1 広布第2幕第10回全国青年部幹部会

2008年7月21日付 聖教新聞
新時代第20回本部幹部会での名誉会長のスピーチ 上-1
広布第2幕第10回全国青年部幹部会

青年の歌声高く正義の大道を
人材の光で 未来を照らせ!

わが同志は「世界の宝」
伝教大師 「人々に尽くす菩薩こそ国の宝」
戸田先生 金剛の勇気で連戦連勝を!

一、ブラジルの著名な音楽家ヴィラ=ロボスは言った。
 「"歌"を歌える民衆は、あと一歩で幸福を勝ち得るのだ」
 わが恩師の戸田先生もまた、「学会は、歌とともに戦い、歌とともに進もう」と呼びかけられた。
 こうした先哲の言葉の通り、わが学会には歌声が響きわたっている。真実の団結と勝利の姿が、ここにある。
 きょう歌ってくれた皆さん、ご苦労さま!
 万歳だ! 本当に、上手であった。皆で、もう一度、賞讃の大拍手を贈りたい。ありがとう(大拍手)。
 〈幹部会で、壮年部の代表、アメリ創価大学の有志、創価大学に学ぶ学生部・女子学生部の代表が合唱を披露した〉
 18世紀の大音楽家モーツァルトが作曲した歌の一節にこうある。
 「太陽の輝きは夜を追い払い、偽善者のよこしまな力を打ち砕く」(荒井秀直訳『モーツァルト 魔笛音楽之友社
 青年の正義の歌声こそ、「太陽の輝き」である。青年の団結の歌声こそが、皆の前進の行進曲となり、邪悪な陰謀を打ち敵っていく力となるのである。
 一、20世紀ブラジルの文豪ギマランエス・ローザは綴っている。
 「人生が私たちに要求するのは勇気である」「勇気とは、心をはずませるものなのである」(中川敏訳「大いなる奥地」、『筑摩世界文学大系83』所収、筑摩書房
 人生の勝利の第一条件は「勇気」である。
 勇気の人は、どんな試練があろうとも、前へ前へ進む。ゆえに、必ず道が開かれる。
 戸田先生は、指導された。
 「信心とは、金剛の勇気である」「力ある人生を生きるのだ」「一緒に連戦連勝の人生を生き抜こう!」と。この通りに、金剛の勇気で連戦連勝の人生を楽しく前進しよう!(大拍手)
 一、全国の同志の皆様方、そしてまた海外の同志の皆様方、毎日の広宣流布の大闘争、本当にご苦労さま!
 いよいよ、わが学会も、本格的な総仕上げの段階に入った。
 これまで懸命に広布に励み、学会に尽くしてくださった同志を大きく宣揚させていただきながら、私は、世界の人たちが仰ぎ見る堂々たる「平和と文化の大牙城」を盤石に築いてまいる決心である。
 皆様の子孫末代までもが誇りに思える素晴らしい創価学会を、後世に残して差し上げたいのである。

 貴国の宝とは?
 一、ここで、中国の歴史家・司馬遷の『史記』から、一つのエピソードを紹介したい。
 中国のいにしえの「魏」という国の王(恵王(けいおう))が、「斉(せい)」という国の王(威王(いおう))に言った。
 「わたくしの国は小さいのですが、それでもなお、直径一寸の珠で、車の前後それぞれ十二台を照らすものが十個もあります。
 どうして、貴殿のような万乗の大国(=兵車1万乗を出す国。ここでは大諸侯)で、宝物が無いことがありましょうや」(吉田賢抗著『新釈漢文大系86』明治書院
 それに対して、斉の王は、淡々と答えた。「わたしが宝とするところのものは、王とは異なっております」(同)と。
 それでは、斉の国の宝とは何か。
 斉王は答える。
 それは──素晴らしい4人の人材であり、それぞれが責任を担う地域を厳然と守り、よく治めてくれている。
 この4人の宝の人材の輝きは、遠く千里の先まで照らすであろう──と。
 どんな財宝をもってしても、真の「国の宝」とはいえない。物ではないのだ。
 真の国宝とは、人材なのである。人間なのである。これが斉の国王の考え方であり、歴史家・司馬遷の鋭い着眼であった。

波を起こせ!歴史を創れ!
師弟の青春に勝利あり

 「核」を固めよ
 一、斉の国には4人の宝の人材がいた。
 法華経で鋭かれる地涌の菩薩の中にも、四菩薩といって、上行、無辺行、浄行、安立行という4人のリーダーがいる。
 何事をなすにも、「核」となる人間が大事である。
 学会の前進においても、戸田先生は、4人とか、6人とか、中核となる人材をつくって、その地域、地域で土台を固めていくことが大事だと考えておられた。そうした観点からの人材育成にも、私は力を入れてきた。

 菩薩とは誰か
 一、約1200年前、像法時代に「法華経」を弘めた日本の伝教(電業)大師(最澄(さいちょう))は記している。
 「国の宝といわれ、国を利するものといわれるものは菩薩でなくして誰であろうか」(勝又俊教訳「山家学生式」、『古典日本又学全集15』所収、筑摩書房
 国の宝といわれ、国に真に利益をもたらすものは、だれなのか。
 それは、(法華経に説かれている通り)菩薩であるとの大宣言である。
 それでは、末法の今、大聖人の仰せ通りに、妙法を唱え弘め、人々のため、社会のため、国家のため、そして世界平和のために、地涌の菩薩の行動をしているのは、一体、だれなのか。
 それは、わが創価学会の同志以外にはいないと断言したい。
 私たちは、その誇りを持つべきなのである(大拍手)。
 一、権力者だから、偉いのか。大富豪だから、偉いのか。
 人間の価値が、そんなことで決まると思うならば、とんでもない間違いだ。
 いわんや、三世を貫く、大宇宙の法則である仏法から見るならば、人間の権力の世界など、まったく、とるにたりない存在にすぎない。恐れることなど何もない。
 この偉大なる仏法を実践する私たちこそ、法華経に説かれた「菩薩」であり、最高に尊い「国の宝」「世界の宝」なのである。
 諸天も諸仏も、私どもを護らないはずがない。それを確信していただきたいのである。
 遥かな境涯の高みから、一切を悠然と見おろしながら、真実の幸福の大道を、勇敢に、また朗らかに進んでまいりたい(大拍手)。

 「狼狽(うろた)えない当惑もしない」
 一、「下から上を動かせ」──これが牧口先生の指導であった。
 先生は、強大な国家権力に対して、堂々と正義を主張された。
 「下から上へ」変革の波を起こす。これが民主主義である。妙法の世界である。
 皆、同じ人間だ。生命は平等に尊い。正義に生きる庶民こそ、真の王者なのである。
 戦時中、牧口先生は「今こそ国家諌暁の秋(とき)ではないか」と叫ばれた。臆病な幹部たちは動揺した。
 しかし、戸田先生だけは違った。こう言われていた。
 「私は狼狽えもしなければ、当惑もしなかった。それは、牧口先生が、私にとって大恩人であり、慈悲深い師匠であり、同じ血の流れを感ずる親でもあったからである」
 学会が弾圧されるなか、戸田先生は師弟の道をまっすぐに歩まれた。牧口先生とともに牢獄に入り、最後まで戦い抜いていかれたのである。
 戸田先生の牧口先生に対する姿勢。それは、あまりにも厳粛であられた。
 一、戸田先生は門下に、こう語られた。
 「折伏は、戸田が師匠である。
 師弟の縁が決まった以上、皆さんは、幸福になりなさい。信心と折伏によって、戸田の一門として貫き通していきなさい」
 こう戸田先生が言われた通り、私は、先生の弟子として生き抜いた。
 先生の偉大な思想を、厳然と継承し、世界中に広めてきた。
 そのことを、心ある識者は正視眼で評価してくださっている。
 一、関西の山下婦人部長の新出発、おめでとう!(大拍手)
 功労者であった父母も喜んでおられることだろう。
 未来の広布の歴史に、巻れの名を残していただきたい。

ブラジルの哲人 学べ!学べ!それが人生を勝ち抜く力

新時代第20回本部幹部会での名誉会長のスピーチ 上-2に続く



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