小説「新・人間革命」宝冠7 7月22日

デミチェフ文化相と山本伸一の会談では、トレチャコフ、プーシキンの両美術館から富士美術館に出展し、展覧会を開催することや、民音による民族舞踊団の招聘などの方向性が決まった。

具体的で実りある会談となった。

 伸一は、文化交流は、民衆と民衆の相互理解を促す要諦であると痛感していた。

 互いの文化への無理解から、摩擦が生じる場合も少なくない。こんな話がある。

 ――ある国際都市に赴任した日本人商社マンの子どもが、ヒンズー教徒の同級生を家に連れてきた。母親は歓待し、牛肉料理を出した。

翌日、同級生の親が「なぜ、いやがらせをするのか!」と怒鳴り込んできた。また、今度は、子どもがイスラム教徒の同級生を連れてきた。母親は豚肉料理を作って歓待した。

すると、その友だちの親が「お宅とは絶交だ」と言ってきたというのだ。

 ヒンズー教では牛を神聖な動物と考え、食べたりはしない。また、イスラム教徒は豚肉を食べることなどを禁じられている。日本人の母親は、それを知らなかったのだ――。

 この類いの話は、多くの人が耳にしたことがあろう。風俗、習慣を含め、文化の理解は、人間交流の基本事項といってよい。

 文化省を後にした伸一は、午後一時から行われる、文豪ショーロホフの生誕七十周年の記念レセプションに出席するため、ソ連作家同盟中央会館に向かった。

 会場には、ソ連をはじめ、イギリス、東ドイツキューバなど十四カ国から、ショーロホフと親交のある作家ら約五十人が集っていた。

しかし、そこには、ショーロホフの姿はなかった。病気療養中のため、出席することができなかったのである。

 伸一の胸には、前年九月の訪ソの折、ショーロホフが手を握り締めながら語った言葉が、響いていた。

 「また、お会いしましょう。来年の五月で私は満七十歳になります。その時に、また、おいでいただけたら幸甚です」