2008年7月22日付 聖教新聞 新時代第20回本部幹部会での名誉会長のスピーチ 下-1 広布第2幕第10回全国青年部幹部会

2008年7月22日付 聖教新聞
新時代第20回本部幹部会での名誉会長のスピーチ 下-2

広布第2幕第10回全国青年部幹部会

 師弟の誉れ
 一、ここで、近代日本の夜明けを開いた、吉田松陰高杉晋作の師弟に触れたい。
 吉田松陰は、1830年(天保元年)8月生まれ。高杉晋作は、1839年(天保10年)8月生まれ。年齢差は9歳であった。
 戸田先生は、吉田松陰高杉晋作がお好きであった。ご自身を松陰に、私を晋作に重ねられた。事実、先生と私は、波瀾万丈の師弟の歩みとなった。
 吉田松陰高杉晋作の出会いは、1857年(安政4年)の秋ごろ。松陰が開いた松下村塾に、晋作が入門した。
 松陰28歳、晋作19歳の時である。
 そして翌年7月、晋作が江戸に向かうまでの約1年、松陰の教えを受けたのである。
 1859年(安政6年)7月、松陰が江戸で入獄すると、晋作は東奔西走し、だれよりも師を支えた。
 松陰は晋作に"10年間、実力を磨け"と指導している。
 そして、この年の10月、晋作は藩命により萩へ向かう。この旅の途上、桧陰は江戸で刑死する。享年30歳であった。
 1863年(文久3年)の正月、晋作は同志とともに、師匠である松陰の墓を、罪人用の小塚原から、若林村(現在の世田谷区内)のよき地に改葬した。
 その墓の前で、晋作は"師の仇を必ず討つ"と厳然と決意する。
 これが師弟である。
 師のために、墓を移しさえした。
 あのような所は、師にふさわしくない。もっと、よき場所にいていただきたい──こういう心境であったであろう。
 そんなことまで──と思われるほど、師匠に仕え抜く。これが師弟の誉れである。

 焦点は青年
 一、1864年(元治元年)3月、高杉晋作は脱藩の罪で入獄する。そこは、10年前に師・松陰が入ったのと同じ牢獄であった。
 晋作は、3カ月の投獄を耐え、生きて牢を出た。
 そして、1866年(慶応2年)、晋作の陣頭指揮の中、長州は幕府軍に勝利。そして明治維新へと、大きく歴史を動かした。晋作は、師の仇を討っていったのである。
 戸田先生は、日本の軍部政府によって獄死させられた牧口先生の仇を必ず討つと誓い、日本の広宣流布の基盤を築かれた。
 私は、全世界に妙法という平和の大哲理を弘めることで、戸田先生の仇を討った。──これが、創価の正義の血脈である。
 焦点は青年である。青年の時代である。
 頑張ろう!〈会場から「ハイ!」と力強い返事が〉
 戸田先生のもと、私は数々の重要な戦いの指揮を託された。そして敢然と勝利した。
 私は、学会を、戸田先生を厳然と守った。
 諸君も、麗しき創価の師弟の世界を、守り抜いていただきたい。
 私は、本当の戸田先生の弟子である。本当の師弟を知っている。ゆえに学会は、ここまで大きくなったのだ。
 戸田先生も、牧口先生も、どれほど喜んでおられることか。諸天も我らを護り、世界的な学会になった。
 師弟を見失えば、広宣流布の前進はない。これだけは、はっきりと言い残しておきたい。
 これが根幹だ。ほかは枝葉にすぎない。
 婦人部の皆さん、よろしく頼みます!
 青年部、頑張れ!
 愚かであってはならない。

 勝利の魂を君に
 一、1867年(慶応3年)4月。師との出会いから10年後に、高杉晋作は病死する。享年29歳。明治が始まる前年であった。
 戸田先生は、晋作と同じように体の弱い私を心配し、「大作が死んだら、学会はどうなるのか」と嘆かれていた。医師から「30歳まで生きられない」と言われていたからだ。
 しかし、私は、勝った。すべてに勝ちました!(大拍手)
 あらゆる障魔を打ち破り、社会を変え、平和と幸福の大連帯を世界に広げた。
 この師弟勝利の魂を今、私は、真の後継の青年部に託したい。
 皆さんが一番の頼りである。青年こそ、学会の宝であるからだ。
 頼むよ!〈「ハイ!」と力強い返事が〉

 無敵の信念を!
 一、きょうは、アインシュタイン博士の話をしておきたい。
 博士はドイツ出身。20世紀最大の物理学者。20代で特殊相対性理論を発表するなど、物理学史を画する数々の理論を構築した。
 1922年、博士は日本を訪問。慶応大学で行われた講演には、牧口先生と戸田先生も聴きに行かれている。
 戸田先生は博士を深く敬愛しておられた。私も大好きな人物である。
 私は、世界平和国際教育者協会から、博士の名を冠した「アルバート・アインシュタイン平和賞」を拝受した(1999年6月)。非常に深い意義を感じてならない。
 1933年、博士はナチスの迫害のなか、アメリカに亡命。一生涯、平和のための行動を貫いた。
 1955年、博士と哲学者のラッセルは、世界の大科学者とともに、核廃絶を訴える「ラッセル=アインシュタイン宣言」を発表する。この宣言に名を連ねたポーリング博士、ロートブラット博士とも、私は対談集を発刊し、アインシュタイン博士の精神を縦横に語り合った。
 〈池田名誉会長は、ポーリング博士と対談集『「生命の世紀」への探求』を、ロートブラット博士とは対談集『地球平和への探究』を発刊している〉
 アインシュタイン博士は述べている。
 「破滅への道にはつねに理想に対する口先だけの奉仕が伴っていました」(湯川秀樹監修、井上健中村誠太郎編訳『アインシュタイン選集3』共立出版
 大事なのは実践だ。行動することだ。
 また、博士は次のように語っている。
 「真に価値あるものは多数の人々の個人を超えた協同作業によってのみ達成しうるのです」(同)
 平和への価値を創造する我らも、異体同心の団結が要である。
 さらに博士は、ガンジーの非暴力の闘争について述べている。
 「強固な信念によって支配されている意志というものが、一見無敵と思われる物質的な力よりも強い」(同)
 信心こそ、最強無敵の信念なのである。

 「背信の徒にほまれなし」
 「中世の大詩人であるショタ・ルスタヴェリは叫んだ。
 「敵の中で一番恐ろしい敵は、友のふりをする敵である」(袋一平訳『虎皮の騎士』理論社
 〈ルスタヴェリは12、13世紀に、黒海沿岸のグルジアで活躍した詩人。グルジアの首都トビリシは、シルクロードの都市として知られる〉
 弟子のふり、同志のふりをする敵に、惑わされてはならない。
 また、ルスタヴェリは鋭く悪を糾弾する。
 「背信の徒にほまれのあったためしはない」(同)
 「人間にとって友を裏切るよりも悪いことがあろうか?」(同)
 いわんや、師匠を裏切り、同志を裏切る人間は、一番悪い。口先や肩書ではなく、実際に何をしたかが大事なのである。

暑さに負けない智慧と工夫を
健康こそすべての土台

 師匠直結で進め
 一、戸田先生は、ある会合の席上、学会歌の指揮を執る青年部をご覧になりながら、こう大宣言された。
 「皆さん、この青年部の諸君に、どうか期待をしてください。この若者たちが、大法戦をやり遂げる人たちです。この青年部がいる限り、創価学会は、絶対に盤石である」
 青年部、頼むよ!
 青年部が師の心をわが心として進めば、何も恐れるものはない。いかなる障魔も、打ち砕くことができる。
 青年部は、師匠直結で進むのだ。
 牧口先生には、戸田先生という、師の心を知る弟子がいた。そして戸田先生には私がいた。私には信頼する君たちがいる。頼むよ!〈会場から「ハイ」と力強い返事が〉
 また、ある時、戸田先生はこう語られた。
 「途中に何があろうが、最後に勝て! 断じて勝て! 最後に勝てば、全部、勝利なのだ」
 これを忘れずに頑張ろう!
 一、どうか、お元気で! 張り切って生きよう! 張り切って進もう!
 〈ここで名誉会長の導師で唱題した〉
 長時間、ご苦労さま! これから、さらに暑くなる。健康こそ、すべての土台である。どうか体に気をつけて、楽しい夏を迎えてください。
 また、元気にお会いしよう!
 楽しく戦って、楽しく生きて、楽しく勝利していきましょう!
 海外の皆さんも、ありがと!(大拍手)
 (2008・7・16)

 ※編集部として、名誉会長の了承のもと、時間の都合で省略された内容を加えて掲載しました。

   新時代第20回本部幹部会での名誉会長のスピーチ 下2〔完〕