2008年大白蓮華 8月号 巻頭言

 「信心」に勝る兵法なし
                 創価学会名誉会長  池田 大作

   信心の
     強きを仏と
        言うなれば
      偉大な同志よ
       いや増し 勇気を

 「心とはどんな境遇からでも、運命を飛び越えて成長することが出来るのです」と、古代ローマの哲人セネカか言った。
 人間の世界にあって、人間によって乗り越えられぬ困難など、絶対にない。乗り越えていく力は、誰人の生命にも具わっている。問題は、その力を、一人一人が、どうすれば発揮できるかである。これは古来、幾多の知性が追及してきたテーマといってよい。
 蓮祖大聖人は、師弟相伝の「御義口伝」に仰せになられた。「始めて我心本来の仏なりと知るを即ち大歓喜と名く所謂南無妙法蓮華経歓喜の中の大歓喜なり」(788ページ)
 いかなる困難にも打ち勝つ「仏」の命は、どこか遠くにあるのではない。汝自身の胸奥にある。その大生命に目覚める以上の喜びがあろうか。それを勝ち取る源泉こそ、強き信心であり、勇気ある信心ののだ。

  恐れるな
     仏の生命は
         大宇宙
      動かす力の
         信心なりせば

 十九世紀のブラジルの文豪ジョアキン・マセドは語った。「何があろうと『信ずる心」を持つ者は、希望の輝きを放ち続ける。疑心暗鬼の心は、深淵の如くであり、絶望の悪魔が住む」どれほど、権力を持ち、財宝を持ち、名声を持ったとしても、永遠性の幸福は得られない。「一寸先は闇」であり、「生老病死」という根本の苦悩を打開することはできないからだ。無名無冠であろうと、「信心」を持った人生には、何も恐れるものはない。事業の苦境や経済苦、病気や家族の不和など、生活の悩みに直面する同志を、戸田城聖先生は抱きかかえて励まされた。
 「大聖人は、すべての難を乗り切られた。これが実証です。あなたには御本尊がある。信心という兵法があるではないか。心は王者でいきなさい。想像を絶した見事な解決が必ずできるよ。難に負けない信心こそが、永遠の幸福の城を築きゆく力なのだ!」


   久遠より
      広宣流布
          信心で
       永遠不滅の
         功徳積みゆけ
 妙法の功力は、広大にして無辺である。
 忙しくて、ふだんは、なかなか会合に出られないなか、時間を懸命にやりくりして、座談会に駆けつける尊き同志もおられる。
 この地球上で唯一、大法弘通へ、慈折広布へ邁進する、創価の異体同心の世界に連なりゆく、その「信心」に功徳が光るのだ。
 蓮祖は、「此の御本尊も只信心の二字荷を差まれ利」(1244ページ)と明確に示されている。「信心の二字」で、一切は決まる。なかんずく、大事なのは「広宣流布の信心」である。
 御聖訓には、「法華経を法の如く修行すとも法華経の行者を恥辱せん者」(358ページ)は「其人命終入阿鼻獄」(其の人は命終して阿鼻獄に入らん)と断言されている。
 仏意仏勅のままに、三類の強敵と戦い、一えん浮提の広宣流布を遂行している創価学会員を恥辱する大罪は、あまりにも重い。その「入阿鼻獄」の峻厳なる現証は、後世への戒めなのである。
 「今日、一人の人に達成できたことは他のだれにも成就できるという希望を妨げるものはなにひとつないということです。人間に人間的な価値と尊厳を与えるのは、なんといっても、この可能性です」と主張したのは、インドの大詩人タゴールであった。
 偉大な師という高みを仰ぐ時、どんな壁も越えられるのだ。南米の大教育者エリーアス総長(コルンビア・デル・パラグアイ大学)は、名誉博士号の授与に際し語ってくださった。
 「仏法は、人間の精神を蘇生させ、一人の人間が持っている『極善の力』を引き出します。仏法の弟子は、師匠から『高い精神性と智慧』を学ぶとともに、それらを他の多くの人々に伝える力を与えられるのです」
 戸田門下生となりて六十一年。あらゆる法難を、私は師弟不二の信心の力で勝ち越えてきた。この最も尊く強き「信心の血脈」を受け継ぐ地涌の青年は、澎湃と続いている。ゆえに私は幸福だ。
 
  この人生
    断じて負けるな
        勝つための
      創価の信心
         決意も新たに