2008年12月号 大白蓮華 巻頭言

 民衆の力は無限なり
            創価学会名誉会長 池田 大作

  偉大なる
     庶民の中から
         大仏法
      広宣流布
         炎と燃えなむ

 目覚めた民衆の連帯ほど、尊いものはない。
 立ち上がった民衆の叫びほど、強いものはない。
 虐げられてきた民衆の力をば、引き出し、磨き高め、そして、結び合っていくことこそ、人類の希望であり、悲願なのである。
 「アメリカ独立革命」の先覚者トマス・ペインは確信していた。
 「善意の民衆がともに行進し、おのれの力を自覚している。このたくましい力。誰がわれわれの歩みを停止させることができよう、遅らせることができよう?」
 今、時代は目まぐるしく揺れ動いている。その荒波には、いかなる権勢も財力も、いかなる名声も虚栄も押し流されてしまう。
 揺るがぬ黄金の柱は、確固たる哲学と信念の大地に立つ民衆だ。
 混迷を打破する力も智慧も、この誇り高き民衆の中にこそある。

  民衆の
    王者の誇りで
       立ち上がれ
      強く楽しく
         朗らかに

 「大いなる思想は大いなる人民を創造する」とは、イタリア統一の英雄マッツィーニの洞察である。
 これまで、邪な思想の乱れが、どれほど民衆の心を蝕み、無力感やあきらめ、また偏見やエゴなどを蔓延させてきたことか。
 その大転換を成し遂げゆく精神闘争こそ、「立正安国」である。
 「御義口伝」には、「惣じては如来とは一切衆生なり別しては日蓮の弟子檀那なり」(752ページ)と宣言されている。
 「如来」といい「仏」といっても、遠くにいるのではない。正義の民衆こそが「如来」であり「仏」なのだ。民衆が、自らの尊極の仏性を自覚し、その力用を発揮しゆくために、仏法はある。
 「自身の仏乗を悟って自身の宮殿に入るなり所謂南無妙法蓮華経と唱え奉るは自身の宮殿に入るなり」(787ページ)
 何と明るく、全人類の生命を照らす民衆仏法の真髄であろうか。

  負けぬこと
     知らぬ庶民の
         信行に
      諸仏は微笑み
        諸天は守らむ

 民衆が巨大な力を秘めながら、それに気づかぬまま隷属され、烏合の衆に分断されてきたのが、歴史の悲劇であった。その民衆を鼓舞し、正しくリードしゆく人間の結合の究極こそ師弟である。
 わが師・戸田城聖先生は、苦難に挑む友を励まして言われた。
 「もったいなくも、御本仏と同じ生命を持っている自分自身です。誇りを持ちなさい。気高い心で、人生を勝ち抜くことです。自らを卑しめていくことは、絶対にあってはならない」
 広宣流布は、「人間を軽賤する」増上慢との戦いである。民衆を見下す傲慢な輩になど、断じて負けてはならない。
 「悪口罵言」「猶多怨嫉」の難を受けながら、創価の師弟は、三類の強敵に断固と勝ってきた。わが友の誉れの顔を見給え!
 「いわゆる“偉い人間”なんか信用できない。一番信用できるのは無名の民衆だ。けなげな婦人部だよ」。恩師の遺言であった。
 目と耳と口の三重苦に負けなかった社会活動家ヘレン・ケラーは語った。「私たちが全力を尽くせば、計り知れないほどの奇跡を、自身や他人の人生にもたらすことができる」
 いわんや、妙法という「開く力」「具足・円満の力」「蘇生の力」を持った生命は、無限の希望の光彩を生き生きと放つのだ。信心とは、「まさか」を実現しゆく痛快なエンジンである。なかんずく、最も苦労した人が最も幸福になる必然の法則なのである。
 私が対談を重ねたアルゼンチンの人権の獅子エスキベル博士は「民衆は『観客」であってはなりません。権力の奴隷であった時代に終止符を打ち、自分自身の人生、人類の歴史の『主役』となるべきです!」と力説された。そして、この民衆勝利の模範の陣列を、創価の正義の青年に期待してくださっている。
 世界が熱く見つめる「青年・勝利の年」へ、いざや前進!

  滔々と
    大河の流れの
        庶民軍
     恐るるものなく
       怒濤の如くに