小説「新・人間革命」  12月24日 新世紀31

井上靖は続ける。

 ――母親のおなかから出た子どもたちが生い育ち、明暗さまざまな舞台に主役として登場し、悲惨な現実をつくりだしている。

「こうした地球上の現実に対して、烈しく抗議する資格のあるのは、おそらく母というものであり、それ以外にはないのではないか」と。

 山本伸一も、全く同感であった。

 母は、子を産み、その幸せを願い、命がけで育む。母には、子を叱る権利がある。

 ゆえに、世の悲惨に敢然と抗議する資格があるのだ。いや、母なればこそ、世の悲惨を、不幸を、不正を、邪悪を、断じて許してはならない。

母なればこそ、決然と立たねばならない。母の力は強い。母こそが、すべてを変えることができる。

 「母」の詩は、次の一節で終わっている。

  

 今からは 今日からは あなたの あなた自身の変革による

 思想と聡明さをもって わが家に憧憬の太陽を

 狭く薄暗い社会に明朗の歌声を 春を願い待つ地球上に

 無類の音楽の光線で 平安の楽符を 伸びのびと奏でてほしいのだ

 その逞しくも持続の旋律が 光と響の波として彼方を潤すとき

 あなたは蘇生しゆく人間世紀の母として 悠遠に君臨するにちがいない

  

 また、別の書簡のなかで伸一は、母の生き方について、こんな話も紹介している。

 戦争で夫を亡くし、郵便局の集配員をしながら娘を育て上げた婦人の話である。

 ――終戦間近の一九四五年(昭和二十年)の梅雨明けのころのことだ。

彼女の夫は一年ほど前に、ビルマ(現在はミャンマー)で戦死していた。彼女が住んでいた北九州の工業地帯も頻繁に空襲を受けた。町のキリスト教会にはアメリカ兵の捕虜が収容されていた。