小説「新・人間革命」  12月25日 新世紀32

捕虜のアメリカ兵は、防空壕を掘る作業をさせられていた。そのうちの一人が、喉の渇きに堪えかね、井戸に来た。水を汲み上げ、口にしようとした時、通りがかりの主婦が、釣瓶をもぎ取り、水を撒き捨てた。

 「お前たちに飲ます水は一滴もないよ!」

 夫を亡くした、郵便局の集配員の婦人は、その光景を見て、釘付けになった。

 “私の夫も、こうして一滴の水を求めて、異国の地で死んでいったのではないか……”

 そう思うと、彼女から、アメリカ兵への敵愾心は消えていた。急いで水を汲み上げて、立ち去ろうとするアメリカ兵のために、道端の草むらに釣瓶をそっと置いた。

兵士は、喉をならして飲んだ。やがて捕虜の仲間が一人、また、一人と来ては水を飲んでいった。

 いつしか水汲みは、彼女の日課となった。その行為に憎悪の目を向ける日本人もいた。

 彼女は、心から思った。

 “どこの国の兵士も故国には家族があり、温かい団欒の家庭がある。誰が喜んで戦争などするものか。悪いのは戦争であり、国家の名のもとに民衆を巻き込む指導者である”

 終戦になると、立場は一変した。集配に行く彼女に、四、五人のアメリカ兵が「アリガトウ、アリガトウ」と言いながらチョコレートなどを差し出した。

家で待つ娘を思うと喉から手が出るほどほしかった。しかし、もらってはならないと、道を急いだ。そんなことを望んでしたことではない。また、敗戦国民といえども、プライドがあった――。

 伸一は、九州を訪問した折に、一婦人から聞いたこの話を紹介し、次のように記した。

 「私には教えられるものがありました。その後、その婦人は娘を立派に育てあげるのですが、その芯の強さ、心の気高さが、彼女を支え、娘を支えたと感じました。

一人の女性の来し方ではありますが、女性はやはり、そうした意味での“自立”の強さを持つべきであろうと、しみじみ思います」

 母が使命に目覚め、決然と立つ時、平和の堅固な礎が築かれ、世界は変わるのだ。