【第8回】 水滸会 1  2009-1-16

【第8回】 水滸会 1  2009-1-16



人材だ!全ては人で決まる

青年を見つけて育てた分だけ広宣流布は進む



ある日の学会本部



 西神田の学会本部。靴音を鳴らして男たちが次々と走ってくる。

 昭和二十八年(一九五三年)の秋ごろである。右隣の印刷所との間に細い路地があった。体を斜めにすべらせ、横なりになって進む。

 奥の勝手口から入るが、ここは水もれのせいで、いつも土間がぬれている。頭上の裸電球は薄暗い。

 二階まで階段を上がると、部屋の時計は午後六時。ひと安心して、カバンから一冊の本を取り出す。

 佐藤春夫訳、中央公論社刊『新譯 水滸傳』である。

 水滸会は時間厳守だった。一分一秒たりとも遅れてはならない。戸田城聖会長の会社で働く者もいたが、早退できなかった。

 「きょうは水滸会があるので、早めに......」

 上司は営業部長の池田大作青年である。

 「とんでもない。きょうの仕事は、きょう全部やり切るのが当然だ」

 あわてて仕事に集中し、ぴったり六時に間に合った。

 「よくやった。それでこそ水滸会だ」

 ここで努力を評価するのも池田青年だった。仕事も活動も、ゆるがせにできない。参加者の心は引き締まった。



 ある日の水滸会を再現してみよう。

 開始までの短い時間も、ぴんと空気は張りつめている。教材を読了していればじっと前を見すえ、未了だと懸命にページをめくる。夕飯代わりの焼きイモを古新聞にくるんできたが、とても食べられた雰囲気ではない。

 全員がそろったのを確認し、池田青年が戸田会長を迎えにいく。

 トン、トン、トン。静まり返った部屋に足音がする。

 「よお、そろっているな」

 戸田会長が姿をあらわす。

 「こんばんは!」

 三つ揃いの背広を着込んだ戸田会長は参加者の脇をすり抜け、籐いすに腰かけた。

 机上には灰皿と一輪ざし。小さな花が生けてあり、男ばかりの部屋で、ここだけが華やいでいる。

 会長は手ぶらである。向かって右に池田青年、左に青年部長の辻、男子部長の平田が座った。



 参加者には、あらかじめ論題が与えられ、テーマにそった研究内容を発表する。

 第九巻が教材だった。第一間は「黒旋風李逵(こくせんぷうりき)を退けた時の宋江(そうこう)の成長、人物起用について」である。

 宋江水滸伝の主人公で、梁山泊の豪傑をひきいて、腐敗した官軍と戦う。

 黒旋風李逵。マサカリで敵をなぎ倒す梁山泊きっての猛者だが、頭に血が上ると味方まで殴り殺してしまう。

 池田青年が立ち上がる。

 「では議題についての説明をお願いします」。担当者を指さした。

 「七ページを開いてください。ここから黒旋風李逵を退ける場面場面が始まります」

 すっと立ち上がり、よどみなく解説をくわえていく。周到に準備していることがうかがえる。。



 宋江と黒旋風李逵



 研究発表は組織ごとに分担されていたので所属組織の誇りもかかっていた。

 「宋江が東京(トウケイ)へ忍びを遣わすことにしたとき、相棒にだれかいないかと聞いた。すると、いきなり黒旋風李達が『俺がゆくべ』と名乗りをあげた。ところが、宋江は一喝のもとにこれを退けたというわけです」

 あわただしくべージを開き、該当個所をチェックする男もいれば、ライバル心を丸出しにして、腕を組んで、にらんでいる者もいる。

 仁丹をかんでいた会長が顔を上げた。「トンキン(東京)湾というのがあったな。どのあたりになるかな」

 みな分からない。担当者も固まってしまう。

 さっと地図を広げ「この下のほうになっております」。池田青年だけが反応した。

 「そうか」とうなずくと、おもむろに口を開いた。

 「仏印(フランス領インドシナ=現在のベトナムラオスカンボジア)に近いな。旅行をして、その土地を見ることは大事だ。太平洋戦争は愚かだったが、日本人が大陸で見聞した事実はまとめて、子どもたちに残さなければならない」

 何かを縁に、ふと思い出したように語ることが、しばしばあった。

 発表のあとで、池田青年が場内に意見を求めた。さっと手があがる。

 「宋江には知的な面と情的な面の二つがあります。これまで情に流されて黒旋風李逵を使い、失敗したことがあった。もう失敗できないので、知的な面から冷静に判断して切った。こう考えます」

 似たような発言が続く。要するに前回、黒旋風李逵を使って失敗したから、今回は用いなかったという点に集約された。

 発言が一段落するのを見て、戸田会長がタバコの火をもみ消した。

 「そんなところかな」

 咳ばらいを一つすると、今まで意見を述べていた青年の顔をじっと見すえながら話をはじめた。

 「人を使うということは、非常に重大な問題だ。人を使う場所をまちがえると一軍の大敗をまねく」

 すべては人で決まる。

 背筋をたださずにはいられなかった。まるで、今しがた発言した内容について、お前たちは責任がもてるのか、と迫られているようだった。

 青年を見つけ、育てながら広宣流布の命運を背負っているリアリティーが戸田会長にはあった。

 「宋江は黒旋風李逵という男をよく知っていた。だから起用しなかった。要するに人材を見きわめる力が必要なのだよ。そうでなければ適材を適所へ出すことはできない」

 人物を知り尽くした上での配置であり起用だったと指摘した。

 「よし、きょうは終わりにしよう」

 第六問まで終え、立ち上がると、時計の針は午後七時五十分をさしている。二時間近くもたっていたが、参加者には、あっという間である。

 池田青年の指揮で「星落秋風五丈原」の合唱が始まった。戸田会長が最も好きな歌である。ふたたび腰をおろし、静かに目を閉じた。

 四番、五番の歌詞にさしかかると、おもむろに席を立つ。池田青年が先導し、歌声に送られて退場した。

 多くの証言をもとにすると、会合の様子は以上のようになる。

 水滸会の歴史は、それほどオープンにされてこなかった。どんな準備をして臨んだのか。そもそも、どのように会合が進行したのか。

 当時の水滸会員に、しらみつぶしに当たった。服装。集合時間。式次第。配席。予習。終了時聞。宿題。こまかい点まで質問をぶつけた。

 水耕会ではメモが許されなかった。断片的な記憶しかない。しかし求めているのは、全体像であり、系統だった話である。戸田会長と青年のやりとりを再現したい。

 かれこれ二十人ほど取材したころ、資料が見つかった。目次もついていて全体像がわかる。よほど大事にしたのか、西陣織の風呂敷に包まれていた。

        (続く)

時代と背景

 昭和27年9月、佐藤春夫訳『新訳 水滸伝』の第1巻が書店に平積みにされた。定価250円。 中国の北宋時代、梁山泊の英雄豪傑が悪徳官吏を打倒する物語である。吉川幸次郎など十数種の名訳がて生まれた。最新の文学事情にくわしい池田青年は水滸会のテキストに選ぶ。戸田会長も仕事の合間によく、近くの者に『水滸伝』や『三国志』を読ませ、じっと聞いていた。