池田 大作 その行動と軌跡
池田先生に育てられた大恩を永遠に忘れない これが常勝の原点となった 仕事と生活に勝て 「大阪の戦い」も終盤。 池田大作室長は外出から関西本部へ戻る途中、一軒の家に立ち寄った。 以前から心配していた幹部の家である。どこか我流で、和を乱すことがあっ…
きょうは これで 二十四ヵ所目だ 関西の友がいるところどこまでも走った 鬼神も泣かむ闘争 大阪市西成区に坂本堅という大工がいた。 昭和三十一年(一九五六年)六月、関西本部で青年部の責任者会に参加した。 各区から順調な報告が続く。坂本のところは他の…
団結あるところ勝利あり! 池田室長を先頭に関西の快進撃が始まった ジュース工場の拠点 関西での池田大作室長の行動は、昭和三十一年五月に入ると、さらに加速する。 大淀区(現・北区の一部)で「日栄ジュース」を製造する小谷鉱泉所。小谷栄一・ふみ夫妻…
関西で立ち上がれ! あらゆる企業・団体もしのぎを削った 学会が躍進する急所だった 世界へ通じる大拠点 昭和二十年代の後半、企業や団体が戦後の復興を終え、地方への進出をはかった。 しかし、東京から大阪へ伸びようとして成功した例は少ない。 経済界で…
私は戸田先生に代わって御書講義をしている 師が見ていると思って全力でのぞみなさい きれいに使われた御書 昭和二十九年(一九五四年)九月二十六日、青年部の池田大作室長による御書講義が始まった。 京都から来た逢坂琴枝は驚いた。 各宗派の本山が、京都…
なぜ関西は強いのか── 池田室長と戦った昭和31年の金字塔にその原点がある 常勝の源流へ 大阪・天王寺。 「えらいこっちゃ、もうすぐ始まるで」 「ほんまや。走ろか」 男たちが次から次へ、民家に駆け込んでいく。 昭和三十一年(一九五六年)初夏。拠点闘…
覚えておきなさい すべては三代目で決まる 第三代の会長は この中から出るのだ 池田部隊長の一日 水滸会の全貌が明らかになるにつれて強く感じる点があった。この指導会は、戸田城聖会長が第三代会長のために構想を語り残す機会ではなかったのか。 「今に三…
宗門は組織が老いている 学会が伸びたのは組織が若く新しいからだ 全体観に立て 昭和二十九年(一九五四年)二月九日の水滸会。会場は信濃町の学会本部である。前年の十一月に西神田から本部を移している。 前日の八日、戸田城聖会長は学会本部で御書講義を…
「今に世界の指導者がやってくるぞ」 周恩来やネルーと語り合う時代を恩師は見つめた 忙しくすれば人材が出る 水滸会で、吉田松陰とその門下を描いた『風霜』がテキストになった。庶民感情に通じた著者・尾崎土郎の作風を戸田城聖会長は讃えた。 「日本の文…
戸田思想の源流 新たに発見された水滸会の資料。調べるにつれて、抱いていた概念が崩れていった。 戸田城聖会長の言葉には、創価学会の会内にしか通じない、いわば内側を向いたものなどはなかった。 まとめられた資料のインデックスを見ても、政治や経済に関…
【第8回】 水滸会 1 2009-1-16 人材だ!全ては人で決まる 青年を見つけて育てた分だけ広宣流布は進む ある日の学会本部 西神田の学会本部。靴音を鳴らして男たちが次々と走ってくる。 昭和二十八年(一九五三年)の秋ごろである。右隣の印刷所との間に細い…
市ヶ谷の分室で 恩師は面接指導した 一対一の対話があるから学会は強い 第二代会長が誕生 昭和二十六年(一九五一年)五月三日。この快晴の木曜日、戸田城聖は創価学会第二代会長に就任した。 組織も一新され、新進気鋭の人材が登用された。 しかし、池田大…
【第6回】 第2代会長 3 2009-1-13 恩師と二人で創価大学の構想を練った 「必ずつくります 世界一の大学にします」 学生街の食堂で 昭和二十五年(一九五〇年)秋、池田大作青年に、師の個人教授は続いていた。ルソーの『エミール』などを題材にした。 社…
「どこまでも 師弟の道を行け! 一人の青年が声を上げ学会は救われた 矢島周平という男 戸田城聖から矢島周平に理事長職が正式にバトンタッチされたのは、昭和二十五年(一九五〇年)十一月十二日、創価学会の第五回総会である。 矢島の経歴については、さほ…
わかりました 戸田先生に 必ず会長になっていただきます 私が全力で戦い、守ります 理事長を辞任する 「毎年、八月二十二日が来ると思い出す。暑い暑い日だった」 池田大作SGI会長は今も時折、述懐する。 昭和二十五年(一九五〇年)のその日は火曜日だっ…
畑ちがいの仕事で 予期せぬ恩師の事業の暗転──脚本家・橋本忍のインタビューのさい、池田大作SGI会長は当時を振り返って述べている。 「信心というのは、こういう試練を経なければいけないのです。社会の荒波を乗り越えなければならない。その目的のため…
時代と背景 昭和24年、戦後の混乱は続き、国鉄をめぐる「下山事件」「三鷹事件」などが相次いだ。騒然とした世相にあって、名曲「青い山脈」が大ヒットする。若き池田編集長は、この歌を作詞した西條八十にも体当たり。「どうか少年たちに偉大な夢を与えき…
神田の街角で これほど強い宗教の負のイメージをぬぐい去った戸田城聖という人物とは? 作家の西野辰吉は述べている(『伝記 戸田城聖』)。 「あるものには"受験の神様"にみえ、あるものにはあぶなっかしい素人事業家にみえ、あるものには山師ふうな法螺ふ…
2009年1月1日付 聖教新聞 池田大作──その行動と軌跡 第1回 若き指導者は勝った-1 日本正学館 1 昭和二十四年一月三日──ドラマは六十年前、恩師の会社に初めて出勤した日から始まった 池田青年の十年 総武線の水道橋駅で降り、東京・千代田区の神田…