第34回 「SGIの日」記念提言  上・中・下 2009年1月26日

原水爆禁止宣言が断罪したもの

 この核軍縮と並行して対応が迫られるのが、 NWC(核兵器禁止条約)による「核兵器の非合法化」の枠組みづくりです。
 NWCは、核兵器の閻発から、実験、生産、貯蔵、移譲、使用、および使用の威嚇にいたるまでのすべてを禁止するものです。
 そのモデル案は、すでにNGOの主導で起草され、 97年l=コスタリカが国連に提出した後、2007年に改訂版が再び国連文書となる中、昨年、国連の潘事務総長も条約の交渉検討を各国に呼びかけました。
  保有国が一向に改めようとしない核抑止政策が、新たに核保有を求める国々の正当化の論拠ともなってきたことを踏まえ、どの国であろうと一切の例外を許さず、核兵器を全面的に禁止する国際規範を打ち立てる必要があります。
  私の師である創価学会戸田城聖第2代会長が逝去の前年(57年9月)に「原水爆禁止宣言」を発表し、”いずこの国であろうと、それを使用したものを絶対に許してはならない”と断罪したのも、核保有の奥底にひそむ国家エゴが、人類の未来にぬぐいがたい脅威をもたらす元凶となることを見据えてのものでありました。

他者の恐怖の上に自らの安全を求めない
核兵器禁止条約」の制定を!!
21世紀の国連の生命線は市民社会との協力の中に

NWCに対し、保有国の参カロを得ることは難しく、それが確保されない限り、有名無実になるとの懸念の声もあります。
しかし、光明がまったくないわけではありません。インドやイギリスなど一部の国の間では、さまざまな条件や留保を付けながらも核時代を終焉させる必要性を認める見解を示すようl=なっているからです。
また、未発効であるCTBTが、非加盟国にも核爆発実験のモラトリアム(一時停止)を宣言する状況をもたらしているように、NWCが保有国にも何らかの形で自己抑制を迫る規範としての重みを持つことが期待されます。
 保有国が直ちに交渉に踏み出せないにしても、その前段階として既存の非核地帯条約の議定書への批准を完遂させるとともに、昨年の提言で呼びかけた「北極非核地帯条約」の制定に前向きに取り組むなど、地域的限定が伴うlこせよ、「核兵器の非合法化」の流れに従う<誠実さ>を示すべきではないでしょうか。
  実際、「核兵器のない世界」を望む声は高まっており、保有国を含む21カ国の国民を対象に昨年行われた世論調査でも、平均で76%の人々が核兵器を 禁止する国際規範の必要性を認める結果が出ました。
  こうした声をNWCの実現を求めるグローバルな連帯の形成につなげながら、市民社会の後押しで新たな軍縮条約の歴史を開いた「対人地雷全面禁止条約」や「クラスター爆弾禁止条約」に続く形で、”核兵器禁止の包囲網”を築 き上げることが必要です。
  昨年、「クラスター爆弾禁止条約」が異例のスピードで成立をみたのも、非人道的な兵器を許さないとの国際世論が高まったからでした。その最たる存在である核兵器についても、”人道的精神が軍事の論理に打ち勝つ”道を開くことが欠かせないのです。
 先月には、カーター元大統領やゴルバチョフ元大統領らが名を連ねる核廃絶運動「グローバル・ゼロ」の創設会議がバリで行われました。この運動の特徴も、「核兵器のない世界」の実現は国際世論の広範な支持なしには不可能との認識に立脚している点にあり、明年1月に各国の指導者らと市民社会の代表が参カロしての「世界サミット」の開催を呼びかけています。
 こうした世界サミットの開催は、私も年来主張してきたところであり、実りある成果が得られることを期待するものです。そして、明年に行われるこの世界サミットと、 NPT再検討会議での議論をステッブポードに、 NWCの交渉を闇始すべきだと訴えたい。

人間の安全保障と相いれない絶対悪

 かって20世紀を代表する歴史家のアーノルド・トインピー博士と対談した折、核問題の解決には民衆の強い働きかけと、核保有を拒否する「自ら課した拒否権」を世界全体で確立することが重要となる(『二十一世紀への対話』、『池田大作全集第3巻』所収)と述べておられたことが忘れられません。
 NWCは、その「自ら課した拒否権を基礎とすべきものです。そして、核兵器は人類の生存権を脅かす"絶対悪'であり、「国家の安全保障」のみならず、地球上のすべての人々の平和と尊厳を追求する「人間の安全保障」とは決して相いれないものであるとの信念を、条約の根幹に据えるべきものと考えます。
 その地平が拓けてこそ、”他者の恐怖と不幸の上に自らの平和と安全を求めない”との人類が目指すべきグローバルな「平和の共有」の曙光は輝き始めると確信してやみません。
焦点となっている北朝鮮やイランの核開発問題も、脅威と不信の増幅に終止符を打つためには、地域全体の緊張緩和と信頼醸成を粘り強く進め、平和を共有する空間を広げる努力が欠かせないと考えます。
 私どもSGIは、戸田第2代会長の「原水爆禁止宣言」を原点に、より多くの人々が核兵器の問題を自らの問題としてとらえることができるように働きかける運動を続けてきました。
 宣言発表50周年を迎えた2007年からは、「核兵器廃絶へ向けての世界の民衆の行動の10年」の具体的行動として「核兵器廃絶への挑戦と人間精神の変革」展を闇催し、今年からは、創価学会の女性平和委員会が取材・編集した女性による戦争証言を抜粋し5カ国語に翻訳したDVD「平和への願いをこめて-ヒロシマナガサキ被爆者証言編」の上映会も各地で行う予定となっています。
 また、 NWCの実現を求めるIPPNW(核戦争防止国際医師会議)が進める「ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)」をはじめ、他のNGOと協力を深めながら、特に女性や次代を担う青年や学生の間での連帯を広げて、国際世論を高めていきたい。
 そして、戸田第2代会長の生誕110周年にあたる明年を目指し、「原水爆禁止宣言」の規範化ともなるNWCの交渉開始を、力強く呼びかけていく決意であります。

”人類の議会”を守り支える基盤

結びに、これまで論じてきた地球的問題群に立ち向かう人類共闘の結集軸となるべき、国連の強化について提案しておきたい。
 2度にわたる世界大戦の反省に基づいて創設された国連が、これまでどのように山積する難問に取り組んできたのか-
 その60年余りの歴史に、さまざまな角度から光を当てて、実像を浮かび上がらせた労作に、歴史学者ポール・ケネディ氏の『人類の議会』(古賀林幸訳、日本経済新聞出版社)があります。
 私が特に感銘したのは、ケネディ氏が国連の歴史を単に国際政治史の一側面としてではなく、「国際機関を通して相互の尊厳と繁栄と寛容の未来を築くという共通の目的のために、人類が集まり模索してきた活動の物語」として描き出している点です。
 つまり、それは国連を軸にした人類史にほかならず、私なりに言い換えれば、国連憲章の理念の実現を求めての「人道的競争」をめぐる険難と挑戦の歴史だったともいえるでしょう。
 果たして国連は、今後も憲章に託された使命を全うしていくことができるのか。それは、「人類共通の善と長期的利益のために、自らの不安や利己主義を克服できるかどうかである。二一世紀の歴史の大半は、その課題にわれわれ全員がどう対処するかにかかっている」と、ケネディ氏は強調しています。
 その問題意識は、現在、対談を進めているアンワルル・チョウドリ前国連事務次長と私が共有するものでもありました。
 この点から国連の未来を展望した時、まず必要と思われるのは、将来にわたって国連を支え、力を与え続ける源泉となる「市民社会との強固なパートナーシップ」の構築です。
 その基盤づくりの一環として、国連に「市民社会担当の事務次長」のポストを設けることを呼びかけたい。同様の提案は、カルドーゾ元ブラジル大統領を委員長とする「国連と市民社会の関係に関する有識者パネル」が2004年に発表した報告書でも提起されていたものですが、検討に値すると思われます。
  この事務次長を、 NGOの地位向上とパートナーシップの促進のために専門に活動する常設職とし、平和と安全保障、経済・社会問題、開発協力、人道問題、人権といった国連の主要テーマに関する討議の場に加わり、市民社会の 意見の反映を求めていくことなども考えられましょう。
  先の有識者パネルの報告書でも、「市民社会は国連にとって決定的に重要で、それを連動させていくことは必要なことであり、選択肢ではない」と強調されていましたが、NGOをいつまでもオブザーバー的な存在にとどめるのでは なく、国連を支える"かけがえのないパートナー,として位置付けることこそ、2 1世紀の国連の生命線であると訴えたい。
 こうした改革を一里塚として、国連憲章が冒頭に掲げる”われら人民”との言葉を修辞的なものに終わらせることなく、「民衆の顔をした国連」の実現に向けての潮流を高めていくことが望まれます。