【第14回】女人成仏の宝冠 2009-5-10
【第14回】女人成仏の宝冠 2009-5-10
創価の母に永遠の感謝
平和学者「決意に輝く皆様は世界の希望」
気高き境涯の「幸福博士」万歳!
御聖訓 法華経の師子王を持つ女人は一切の地獄・餓鬼・畜生等の百獣に恐るる事なし(千日尼御前御返事、1316ページ)
母の日に 功徳と勝利の 母の顔
母の日」にあたり、尊敬する日本中、世界中のお母さん方l=心から感謝申し上げます。
私も妻も、尊き「創価の母」に最敬礼して、健康・幸福・勝利の道を歩んでいかれるよう、一日一日、真剣に、また深く、お題目を送っております。その意味では、毎日が「母の日」と思っております。
母は温かい。母は賢い。そして母は強い。母ありてこそ、私たちがいる。
フランスの詩人のミュッセは「母を愛する人で、意地の悪い人は決していない」と言いました。
母への感謝」は人類永遠の美心であります。
いわんや、友のため、地域・社会のため、広宜流布のため、誰よりも真剣に、大誠実で戦ってくださっているのが、わが婦人部の皆さんであられます。
の皆様方を、曰蓮大聖人が、釈迦仏・多宝仏が、そして三世十方の仏菩薩が御照覧です。断固として守りに護り抜かないわけがありません。
佐渡の婦人を激励
恩師・戸田城聖先生は、婦人部、女子部に対して、よく言われておりました。
忙しくとも、日々、御書を開いて、曰蓮大聖人の師子王の教えにふれ、学びとり、行動していく女性になっていきなさい」とー。
の戸田先生.の指導のままに、きょうも御書を拝していきましょう。
回は、”師子王の女人”を讃えた「千日尼御前御返事」の御聖訓を拝読します。
法華経の師子王を持つ女人は一切の地獄・餓鬼・畜生篝の百獣に恐るる事なし」(御書1316ページ)
妙法を持った女性は、何も恐れるものがない師子王の境涯であると、御本仏が言い切られた一節です。
本抄は弘安元年(一二七八年)の閏十月十九日、曰蓮大聖人が五十七歳の御時に、身延の地から遠く離れた佐渡の女性門下の千日尼に宛てて綴られた御手紙です。
千日尼は、佐渡へ流罪の身となられた大聖人に、夫の阿仏房とともに真心を尽くしてお仕え申し上げた婦人です。
弟子として師匠をお護りし、妻として夫を支え、母としてわが子に後継の信心を教えた、婦人部の鑑といえる女性でありました。
本抄では、千日尼が御供養の品々をお届けたことに感謝され、法華経を供養することは十方の仏菩薩を供養する功徳と同じであると述べられています。
の御聖訓で仰せの「法華経の師子王」とは、一切衆生を仏の境涯に導く妙法のことです。
なぜ法華経が、「師子王」の経典であるか。
御手紙の冒頭で大聖人は、「法華経は十方三世の諸仏の御師なり」(同1315ページ)と記されております。
十方」(=全宇宙)、そして「三世」(=過去・現在・未来)のあらゆる仏や菩 薩は、すべて「妙の一字」によって成仏することができたとも御断言です。
それほど偉大な、最極の妙法を持つ女性は、必ず「師子王」すなわち仏に等しい境涯となる。ゆえl=地獄・餓鬼・畜生等の「百獣」など、断じて恐れること ばない。すべてを悠然と見下ろし、厳然と打ち破っていけるのだ!-大聖人 は、こう力強く千日尼を励ましておられるのです。
「女性の勝利」の経典
とくに、「法華経の師子王を持つ女人」と強調されている背景には、それまでの爾前権教で、女人は罪障が深く、絶対に成仏できない存在とされていたことが挙げられます。
法華経には「女人成仏」の法理が厳然と説かれています。提婆達多品第12では、女性の代表として竜女の即身成仏の実証が示されています。女人が、その身のままで仏に成れる
-これは、女性蔑視の思想を根底から覆した大宣言です。
法華経こそ、人類を救う釈尊の精神を正しく伝えた師子王の経典です。まさに「女性の人権」「女性の尊厳」「女性の幸福」を燦然と打ち立てた「勝利の経典」なのであります。
大聖人の御在世は、それまでの貴族による支配体制が崩れ、武士による政権に移行した時代です。大聖人は、朝廷が武家に敗北した「承久の乱」の翌年(一二二二年)に御聖誕になられました。
いわば、既成の価値観が崩壊した”戦後の動乱期”に青年時代を送られたと拝されます。
「立正安国論」に記されているように、当時は飢漣や疫病、そして大地震などの災害に相次いで襲われていた。
どれほど多くの人々が、親を失い、夫を奪われ、子を亡くしたことでしょうか。
いつの世も、社会の乱れに最も悩み、苦しみ、悲しむのは女性と子どもであります。大聖人御在世も、多くの女性たち、子どもたちの嘆きが巷にあふれていたに違いありません。
大聖人は、「今の日本国の小児は魂をうしな(失」ひ・女人は血をは(吐)<是なり」(御書1564ページ)とも記されております。
御書からは、こうした現実を真正面から受け止められ、悲しみの淵に沈む母たち、女性たちを深く深く励まされた御心が拝されてならないのです。
大聖人は仰せです。
「ここに日蓮願って云<曰蓮は全くくあやまり>なし・設い僻事なりとも日本国の一切の女人を扶けんと願せる志は.すてがたがるべし」(同1313ページ)
一切の女性を救い、母の恩を報ずることを、大聖人は御自身の大願とされていたのです。何と深い、広大無辺な御心でしょうか。
動乱や災害の絶えない末法濁世lE生きる女性たちを、太陽の如く照らしゆかれる御本仏の大慈悲が胸に迫ってくるではありませんか。
命がけで師を護る
この大聖人を命がけでお護りしたのが千日尼です。千日尼は、大聖人のおられる塚原三昧堂へ夜中、夫の阿仏房に櫃を背負わせて心尽くしの食事などをお届けしました。
流人であり、念仏をはじめ諸宗を鋭く破折される大聖人に近づけば、自分たちの身も危うくなる。事実、夫妻は住んでいた所を追われるなどの迫害も受けます。
しかし、正義の大師匠をお慕いし、夫婦して外護の赤誠を貫き通したのです。
大難の渦中にある師匠を、断じてお護りするのだ!たとえわが身を危険に晒そうとも!この勇敢な夫妻の心こそ、弟子の魂の真髄であります。なかんずく、恐れなき女性の勇気に勝るものはありません。
以前、南米で困難な逆境の中で戦う婦人部長に、私は申し上げたことがあります。
「一番、大変な時が、一番、深く戦える。その時に、永遠の大福運を積めるのです。これが妙法の世界です」
そこに、正義の大いなる拡大の道も開けていくのです。
大聖人の威風堂々たる御振る舞いに接し、やがて正法に目覚めた佐渡の人々は、次々に念仏を捨て去りました。
師匠であられる大聖人のもと、老若男女が励まし合い、朗々と妙法を唱え、大興隆しゆく一門。その旭曰の威光勢力を見て、諸宗の僧らは怨嫉の炎を燃え上がらせました。
「流罪にしても、まだ勢いが衰えないのか!」
「一体、どれほど力を持っているのか!」
当時、佐渡の念仏僧たちが集まって「このままでは我らのほうが餓死してしまう」と嘆き、大聖人を亡き者にしようと企んでいたことが御書に留められています(920ページ)。
正義は、勝ってこそ正義です。どんな苦難に直面しても、そこから”反転攻勢”の波を起こしていくのです。
断固として、勝って勝って勝ちまくってこそ、分厚い障魔の岩盤を突き破り、広宜流布の聖業を果たすことができるのです。
「夫を御使として」
千日尼は、師弟の道を歩み抜きました。大聖人が赦免され、身延に入られた後も、御供養を携えた阿仏房を少なくとも三度にわたって送り出しています。
「夫の阿仏房を使として」(御書1309ページ)、「夫を御使として」(双1316ページ)とも仰せです。
千日尼は、大聖人に一つ一つ御指南をいただきながら、さまざまな状況にある佐渡の同志を抱きかかえ、励ましておりました。
学会の支部や地区・ブロックで、壮年部をもり立て、青年を育て伸ばし、地域広布の一切を推進してくださっている婦人部長、白ゆり長、グループ長はじめ婦人部の皆さんと二重写しになる姿であります。
大聖人は、千日尼の変わらざる信心を、最大に賞讃なされています。
「私の悲母が、佐渡の国に生まれ変わっているのでしょうか」(同1313ページ、通解)
「まことに、ありがたい女人であられます。(女人成仏の姿を示した)竜女にも劣りません」(同1308ページ、通解)
「大地よりも厚く、大海よりも深き御志でありましよう」(同1314ページ、通解) いざという時、本当に強いのは女性です。戸田先生も「創価の婦人部を見よ!勇気があって恐れがない。
この真の勇者を常に鑑としていくべきだ」と言われました。
女性には命を育む「慈悲」がある。生活に根ざした「智慧」が光り、堅実に生きる「忍耐」があり、一歩も退かぬ「信念」が燃えています。
「母の心は常に崇高なものである」とは、フランスの大文豪デュマの叫びでした。
世界一、宇宙一の妙法を持ち弘めゆ<女性は、この社会で最高に神々しい、尊貴なる宝の方々です。「法華経の師子王」を持った女性こそ、時代・社会の最先端をゆく一人一人なのであります。
後継を立派に育成
千日尼は、息子の藤九郎守綱も、立派な信心の後継者に祈り育てています。
信心強盛な父母の背を見た藤九即は両親をこよなく尊敬し、大聖人門下の正道を受け継ぎました。身延の大聖人のもとを訪ねるなど、求道の信心を貫き、「此の跡をつきて一向法華経の行者となりて」(御書1322ページ)と賞讃されています。
千日尼は、まさに勝利の母でした。
仏法は、「最も苦しんだ人が最も幸福になる」「最も虐げられた人が最も強く立ち上がり、晴れ晴れと人生を勝ち誇る」ための教えです。この痛快なる大逆転の潮流が、我らの広宣流布であります。
戸田先生は言われました。
「真剣に御本尊に祈り切っていきなさい。この簡単な勝利の原理が、皆、なかなか、わからない。これが遠いように見えても、一番、確実な早道になっていくのです」
さらに先生は語られました。
「日蓮大聖人のこの教えは、万人が宇宙大の生命力を発揮する教えであり、この教えによって人類は真の幸福に歓喜できるのである」
信心を貫く女性には、不幸などない。敗北などありません。どんな苦難にも、絶対に負けてはなりません。
「百獣に恐るる事なし」です。断じて断じて、耐えて勝つのです。悲しみの涙を、所願満足の勝利の笑顔に変えゆくのです。わが生命の凱歌を、高らかに奏でゆけ!これが大聖人の大慈悲の御心であります。
創価の母に永遠の感謝
平和学者「決意に輝く皆様は世界の希望」
気高き境涯の「幸福博士」万歳!
御聖訓 法華経の師子王を持つ女人は一切の地獄・餓鬼・畜生等の百獣に恐るる事なし(千日尼御前御返事、1316ページ)
母の日に 功徳と勝利の 母の顔
母の日」にあたり、尊敬する日本中、世界中のお母さん方l=心から感謝申し上げます。
私も妻も、尊き「創価の母」に最敬礼して、健康・幸福・勝利の道を歩んでいかれるよう、一日一日、真剣に、また深く、お題目を送っております。その意味では、毎日が「母の日」と思っております。
母は温かい。母は賢い。そして母は強い。母ありてこそ、私たちがいる。
フランスの詩人のミュッセは「母を愛する人で、意地の悪い人は決していない」と言いました。
母への感謝」は人類永遠の美心であります。
いわんや、友のため、地域・社会のため、広宜流布のため、誰よりも真剣に、大誠実で戦ってくださっているのが、わが婦人部の皆さんであられます。
の皆様方を、曰蓮大聖人が、釈迦仏・多宝仏が、そして三世十方の仏菩薩が御照覧です。断固として守りに護り抜かないわけがありません。
佐渡の婦人を激励
恩師・戸田城聖先生は、婦人部、女子部に対して、よく言われておりました。
忙しくとも、日々、御書を開いて、曰蓮大聖人の師子王の教えにふれ、学びとり、行動していく女性になっていきなさい」とー。
の戸田先生.の指導のままに、きょうも御書を拝していきましょう。
回は、”師子王の女人”を讃えた「千日尼御前御返事」の御聖訓を拝読します。
法華経の師子王を持つ女人は一切の地獄・餓鬼・畜生篝の百獣に恐るる事なし」(御書1316ページ)
妙法を持った女性は、何も恐れるものがない師子王の境涯であると、御本仏が言い切られた一節です。
本抄は弘安元年(一二七八年)の閏十月十九日、曰蓮大聖人が五十七歳の御時に、身延の地から遠く離れた佐渡の女性門下の千日尼に宛てて綴られた御手紙です。
千日尼は、佐渡へ流罪の身となられた大聖人に、夫の阿仏房とともに真心を尽くしてお仕え申し上げた婦人です。
弟子として師匠をお護りし、妻として夫を支え、母としてわが子に後継の信心を教えた、婦人部の鑑といえる女性でありました。
本抄では、千日尼が御供養の品々をお届けたことに感謝され、法華経を供養することは十方の仏菩薩を供養する功徳と同じであると述べられています。
の御聖訓で仰せの「法華経の師子王」とは、一切衆生を仏の境涯に導く妙法のことです。
なぜ法華経が、「師子王」の経典であるか。
御手紙の冒頭で大聖人は、「法華経は十方三世の諸仏の御師なり」(同1315ページ)と記されております。
十方」(=全宇宙)、そして「三世」(=過去・現在・未来)のあらゆる仏や菩 薩は、すべて「妙の一字」によって成仏することができたとも御断言です。
それほど偉大な、最極の妙法を持つ女性は、必ず「師子王」すなわち仏に等しい境涯となる。ゆえl=地獄・餓鬼・畜生等の「百獣」など、断じて恐れること ばない。すべてを悠然と見下ろし、厳然と打ち破っていけるのだ!-大聖人 は、こう力強く千日尼を励ましておられるのです。
「女性の勝利」の経典
とくに、「法華経の師子王を持つ女人」と強調されている背景には、それまでの爾前権教で、女人は罪障が深く、絶対に成仏できない存在とされていたことが挙げられます。
法華経には「女人成仏」の法理が厳然と説かれています。提婆達多品第12では、女性の代表として竜女の即身成仏の実証が示されています。女人が、その身のままで仏に成れる
-これは、女性蔑視の思想を根底から覆した大宣言です。
法華経こそ、人類を救う釈尊の精神を正しく伝えた師子王の経典です。まさに「女性の人権」「女性の尊厳」「女性の幸福」を燦然と打ち立てた「勝利の経典」なのであります。
大聖人の御在世は、それまでの貴族による支配体制が崩れ、武士による政権に移行した時代です。大聖人は、朝廷が武家に敗北した「承久の乱」の翌年(一二二二年)に御聖誕になられました。
いわば、既成の価値観が崩壊した”戦後の動乱期”に青年時代を送られたと拝されます。
「立正安国論」に記されているように、当時は飢漣や疫病、そして大地震などの災害に相次いで襲われていた。
どれほど多くの人々が、親を失い、夫を奪われ、子を亡くしたことでしょうか。
いつの世も、社会の乱れに最も悩み、苦しみ、悲しむのは女性と子どもであります。大聖人御在世も、多くの女性たち、子どもたちの嘆きが巷にあふれていたに違いありません。
大聖人は、「今の日本国の小児は魂をうしな(失」ひ・女人は血をは(吐)<是なり」(御書1564ページ)とも記されております。
御書からは、こうした現実を真正面から受け止められ、悲しみの淵に沈む母たち、女性たちを深く深く励まされた御心が拝されてならないのです。
大聖人は仰せです。
「ここに日蓮願って云<曰蓮は全くくあやまり>なし・設い僻事なりとも日本国の一切の女人を扶けんと願せる志は.すてがたがるべし」(同1313ページ)
一切の女性を救い、母の恩を報ずることを、大聖人は御自身の大願とされていたのです。何と深い、広大無辺な御心でしょうか。
動乱や災害の絶えない末法濁世lE生きる女性たちを、太陽の如く照らしゆかれる御本仏の大慈悲が胸に迫ってくるではありませんか。
命がけで師を護る
この大聖人を命がけでお護りしたのが千日尼です。千日尼は、大聖人のおられる塚原三昧堂へ夜中、夫の阿仏房に櫃を背負わせて心尽くしの食事などをお届けしました。
流人であり、念仏をはじめ諸宗を鋭く破折される大聖人に近づけば、自分たちの身も危うくなる。事実、夫妻は住んでいた所を追われるなどの迫害も受けます。
しかし、正義の大師匠をお慕いし、夫婦して外護の赤誠を貫き通したのです。
大難の渦中にある師匠を、断じてお護りするのだ!たとえわが身を危険に晒そうとも!この勇敢な夫妻の心こそ、弟子の魂の真髄であります。なかんずく、恐れなき女性の勇気に勝るものはありません。
以前、南米で困難な逆境の中で戦う婦人部長に、私は申し上げたことがあります。
「一番、大変な時が、一番、深く戦える。その時に、永遠の大福運を積めるのです。これが妙法の世界です」
そこに、正義の大いなる拡大の道も開けていくのです。
大聖人の威風堂々たる御振る舞いに接し、やがて正法に目覚めた佐渡の人々は、次々に念仏を捨て去りました。
師匠であられる大聖人のもと、老若男女が励まし合い、朗々と妙法を唱え、大興隆しゆく一門。その旭曰の威光勢力を見て、諸宗の僧らは怨嫉の炎を燃え上がらせました。
「流罪にしても、まだ勢いが衰えないのか!」
「一体、どれほど力を持っているのか!」
当時、佐渡の念仏僧たちが集まって「このままでは我らのほうが餓死してしまう」と嘆き、大聖人を亡き者にしようと企んでいたことが御書に留められています(920ページ)。
正義は、勝ってこそ正義です。どんな苦難に直面しても、そこから”反転攻勢”の波を起こしていくのです。
断固として、勝って勝って勝ちまくってこそ、分厚い障魔の岩盤を突き破り、広宜流布の聖業を果たすことができるのです。
「夫を御使として」
千日尼は、師弟の道を歩み抜きました。大聖人が赦免され、身延に入られた後も、御供養を携えた阿仏房を少なくとも三度にわたって送り出しています。
「夫の阿仏房を使として」(御書1309ページ)、「夫を御使として」(双1316ページ)とも仰せです。
千日尼は、大聖人に一つ一つ御指南をいただきながら、さまざまな状況にある佐渡の同志を抱きかかえ、励ましておりました。
学会の支部や地区・ブロックで、壮年部をもり立て、青年を育て伸ばし、地域広布の一切を推進してくださっている婦人部長、白ゆり長、グループ長はじめ婦人部の皆さんと二重写しになる姿であります。
大聖人は、千日尼の変わらざる信心を、最大に賞讃なされています。
「私の悲母が、佐渡の国に生まれ変わっているのでしょうか」(同1313ページ、通解)
「まことに、ありがたい女人であられます。(女人成仏の姿を示した)竜女にも劣りません」(同1308ページ、通解)
「大地よりも厚く、大海よりも深き御志でありましよう」(同1314ページ、通解) いざという時、本当に強いのは女性です。戸田先生も「創価の婦人部を見よ!勇気があって恐れがない。
この真の勇者を常に鑑としていくべきだ」と言われました。
女性には命を育む「慈悲」がある。生活に根ざした「智慧」が光り、堅実に生きる「忍耐」があり、一歩も退かぬ「信念」が燃えています。
「母の心は常に崇高なものである」とは、フランスの大文豪デュマの叫びでした。
世界一、宇宙一の妙法を持ち弘めゆ<女性は、この社会で最高に神々しい、尊貴なる宝の方々です。「法華経の師子王」を持った女性こそ、時代・社会の最先端をゆく一人一人なのであります。
後継を立派に育成
千日尼は、息子の藤九郎守綱も、立派な信心の後継者に祈り育てています。
信心強盛な父母の背を見た藤九即は両親をこよなく尊敬し、大聖人門下の正道を受け継ぎました。身延の大聖人のもとを訪ねるなど、求道の信心を貫き、「此の跡をつきて一向法華経の行者となりて」(御書1322ページ)と賞讃されています。
千日尼は、まさに勝利の母でした。
仏法は、「最も苦しんだ人が最も幸福になる」「最も虐げられた人が最も強く立ち上がり、晴れ晴れと人生を勝ち誇る」ための教えです。この痛快なる大逆転の潮流が、我らの広宣流布であります。
戸田先生は言われました。
「真剣に御本尊に祈り切っていきなさい。この簡単な勝利の原理が、皆、なかなか、わからない。これが遠いように見えても、一番、確実な早道になっていくのです」
さらに先生は語られました。
「日蓮大聖人のこの教えは、万人が宇宙大の生命力を発揮する教えであり、この教えによって人類は真の幸福に歓喜できるのである」
信心を貫く女性には、不幸などない。敗北などありません。どんな苦難にも、絶対に負けてはなりません。
「百獣に恐るる事なし」です。断じて断じて、耐えて勝つのです。悲しみの涙を、所願満足の勝利の笑顔に変えゆくのです。わが生命の凱歌を、高らかに奏でゆけ!これが大聖人の大慈悲の御心であります。