小説「新・人間革命」  6月29日 命宝1

 この世で最も尊厳な宝は、生命である。

 それゆえに「命宝」と言う。

 「観心本尊抄文段」には「夫れ有心の衆生は命を以て宝と為す。一切の宝の中に命宝第一なり」(注)とある。

 生命を守ることこそ、一切に最優先されなければならない。本来、国家も、政治も、経済も、科学も、教育も、そのためにあるべきものなのだ。

「立正安国」とは、この思想を人びとの胸中に打ち立て、生命尊重の社会を築き上げることといってよい。

 一九七五年(昭和五十年)九月十五日、山本伸一は、東京・信濃町の学会本部で行われた、ドクター部の第三回総会に出席した。ドクター部は、医師、薬剤師らのグループである。

伸一がドクター部の総会に出席するのは、これが初めてであった。

 ドクター部が結成されたのは、七一年(同四十六年)九月のことであった。仏法を根底にした「慈悲の医学」の道を究め、人間主義に基づく医療従事者の連帯を築くことを目的として、発足した部である。

 このころ、医療保険の改正をめぐって、厚生省と日本医師会の対立が続いていた。

 その背景には、医療費の急増があった。

 当時の診療報酬の体系では、医師の医療技術は、ほとんど評価されず、診療報酬の大部分は、薬代、注射代などが占めていた。

それが結果的に、薬漬け、検査漬けと言われる医療に拍車をかけ、医療費の増大という事態を生む、要因となってきたのである。

 そこで、厚生省は、医療費急増の打開策として、医療費を引き上げるのではなく、診療報酬体系を見直そうとした。

 すると、医師会は「医師の犠牲のもとに低医療費政策を押しつけるもの」と猛反発し、遂に、この年の四月、保険医総辞退の方針を決議したのだ。

 そして、七月、大多数の医師が、組合管掌健康保険など、被用者保険の保険医辞退に突入したのである。



引用文献:  注 『日寛上人文段集』聖教新聞社