小説「新・人間革命」  6月30日 命宝2

国民健康保険は、医師の保険医辞退の対象ではなく、標的となったのは、賃金労働者の健康保険である被用者保険であり、なかでも、組合健保であった。

そのため、多くのサラリーマン家庭が深刻な影響を受けたのである。

 被用者保険の加入者と、その被扶養者は、医師にかかると、まず、全額、現金で支払い、領収書を社会保険事務所健康保険組合に提出し、払い戻しを受けることになる。

 それだけでも煩雑なうえに、組合健保については、現行料金から値上げされた、医師会が定める“新料金”が請求された。この差額は患者の自己負担となる。

 それによって、病気になっても、金銭的な問題から、早期受診を控える人もいた。また、治療を中断せざるをえない人も出た。

 一九七一年(昭和四十六年)七月半ばには宮城県で、息子夫婦に医療費の過重な負担がかかることを苦にして、息子の被扶養者になっていた老婦人が、自殺するという悲惨な出来事が起こっている。

 すべての国民が、医療保険に加入し、その適用を受ける国民皆保険は、日本の社会保障制度の根幹をなすものであった。それを根底から揺るがす医師会の対応である。

 医師会側は医療制度の抜本的な改革を主張しており、政府がそれに応え切れていないことも事実であった。しかし、国民の生命を人質に取るような結果になったことから、医師会は、人びとの怒りを買うことになった。

 保険医辞退は、政府と医師会で合意が成立し、一カ月で終わったが、医師会は、医療費の大幅引き上げ等を要求。事態は、難航し続けていたのである。

 山本伸一は、そうした状況を見ながら、医師の良心という問題を、考えずにはいられなかった。彼は思った。

 “人命を預かる医師という仕事は、聖職である。医療制度の改革も重要である。しかし、それ以上に、医師が生命の尊厳を守ろうとする信念をもち、慈悲の心を培うことこそ、最重要のテーマではないか……”