随筆 人間世紀の光 NO.192 対話こそわが人生(下) 2009-6-28

恐るるな 悪しき者らの 奸言は 我らの信仰 鍛えるものかな



誠実に信念を語る人間の声ほど、美しい音律はない。

法華経では、人びとのために法を説く菩薩の声を「深浄の妙声」と讃えている。

電話での語らいは、この声の力の真価を、最大に発揮するチャンスである。

学会本部、聖教新聞社等の電話の交換台で活躍する「金声会」の乙女たちには、

「爽やかだ」「清々しい」「美事な応対である|など、多くの賞賛が寄せられる。

わが創価の世界には、最も美しく、最も正しい人間の声が響いている。それゆえに、いかなる邪悪な陰謀にも断じて負けないのだ。

電話で仏縁を拡大思えば、三十年前、本部と聖教本社に電話が殺到して、回線がパンク状態になったことがある。

それは、昭和五十四年の四月二十四日l私が第三代会長を辞任した時のことである。

「なぜ、先生が辞めなければならないのか!」

衝撃の声、憤怒の声、悲憤の声……。聖教本社だけでも、この日、三千本以上の電話をいただいた。

わが真正の同志の、胸も張り裂けんばかりの叫びであった。

何ものにも壊されぬ、師弟の誉れの訴えに、交換台の乙女たちも、〃私たちの先生は池田先生しかおられません"と、涙をこらえながら、懸命に応対してくれた。

私と妻の心から離れぬ歴史である。

ともあれ、一本の電話の持つ力は計り知れない。

顔が見えない分だけ、声や話し方が大事である。

「電話応対コンクール」でも高く評価される金声会の友が、心がけるべき三項目をまとめてくれた。

一、温かな、微笑みを含んだ声で話す。

一、相手の話に耳を傾ける。

一、相手の心を変えていく「ワンモア・ワード」(もう一言の真心こもる言葉)を添えるー。

「声仏事を為す」(御書七○八ページ)である。

だからこそ、一本一本の電話、そして一回一回の対話が仏縁を結び、福運を広げる仏道修行と思い、深き祈りを込めて、声を響かせていくことだ。

偏見も必ず変わる先般、私と対談集を発刊したブラジルの大天文学者モウラン博士は、父君の教えを大切にされていた。

「人間の考えは、たとえ今がどうあれ、それが最後まで変わらないということばない。偏見は必ず、時とともに変えることができる」と。

博士は、その偏見を変えていく方途こそ、「対話の道」であると結論された。

そして、世界に展開される創価の『対話』は、決して音を立てて大げさにする対話ではなく、静かなる対話の流れ、川の流れのような、弛みなき対話の流れであると思います」と語ってくださっている。

なかんずく、青年が、乙女が、学生が、真剣に積み重ねる若き世代の対話が時代を開くのだ。

さらにまた、母たちの声が歴史を変えてきた奇跡を、私たちは知っている。

そして、社会の荒波を乗り越えゆく壮年の信頼の対話も、千鈞の重みである。

人びとの頭の上を飛び去っていくような絶叫は必要ない。川の流れのように、一人また一人と心に染み入る対話を続けていくのだ。

そこに、勝利の活路は、必ず開かれる。

法華経には「我れは是れ世尊の使いなり衆に処するに畏るる所無し」(創価学会法華経四二○ページ)と記されている。

我らは仏の使いとして、そして広宣流布の大師匠の弟子として行動する。この誇り高き使命を帯びて、人間群に飛び込んでいるのだ。

ゆえに、何を恐れることがあろうか。臆さず堂々と、皆が驚くような力を出し切って、戦い勝っていくのだ!

対話こそ、わが人生ーこの対話の道が、麗しき人間共和の大道へと開かれゆくと信じて!



大天地 創価スクラム 一段と 深く結びて 全てに勝ちゆけ



   (随時、掲載いたします)



モンテーニュの言葉は『エセー』原一郎訳(岩波書店)。ソクラテスの言葉はブラトン著「パイドン岩田靖夫訳(岩波書店)。